反省と抱負を同じ日にしない
こんばんは、仕事初めは来客と訪問で、いっぱいハグをした砂漠です。そして、もう17時に退社したので、仕事関連のご連絡は、メールでお願いします。
年末年始いかがお過ごしでしたか。ぼくは、例年に無いほど、ゆっくり休むことができました。
おかげさまで、観れなかった映画や音楽を聴きながら、てくてくと歩いては、あのアプリには紹介されていないであろう美味しいごはんを食べたり、いつもなら、
「すまん、ピンチかもしれない。」
そういうと、二つ返事で集まる男5人衆で、どこの誰んちかわからない迷い猫を探して、結局見つからずそのままおっさん5人衆で屋台酒を呑んだり、
「じゃ、また猫探しがてら呑もう。」
と、「ああ、猫探しな(爆笑)」
みたいなこともありました。
ぼくの普段の正月
最近、そう10年は正月を迎えることになにか必死でした。数年前に帰省することも無い会社や友人数人を、決して招いたわけではないのですが、勝手に来て気づきました。カウントダウンでイエーイってリビングで騒ぐ時も、除夜の鐘を聞きながら着物に着替えて、硯で墨をすり書き物をして、内容に驚かれましたが、毎年のことなのでいたって無心な時間なのです。
おせちを作って、お雑煮を添えて、とっても忙しいのによくやったと思います。自分で自分を今から褒めてもいいくらいです。
初詣には行かない代わりに、着物で山手線や地下鉄に乗って、優しいお正月の中に紛れていました。
今年のぼくの年末年始
着物を洗いに出したのですが、それがなにかの間違いで紛失しました。それを聞いて、特に怒ることも無く、そのままにしていました。
特に着なくてもいいしな。
この他人の目には些細なことも、変わるまで10年かかったわけですね。いつもいろんなことに、即断即決を迫られるぼくが、かなり時間がかかりました。そして、弁償するとかどうとかも、気にならなくなったのです。ただ、もし何かの拍子に出てきたら教えてください。そう言って
このことはおしまいにしたのです。
もちろん、思い出のあるものですが、そう言ったら、楽になったのも事実なんですね。
2016年の終わりに、いろんな人が今年の反省と来年の抱負を述べているのを見て、すごいことだと思っていました。だってぼくはみなさんが世界に向けて、今年の反省と来年の抱負を述べている時に、ギャグではなく、湯豆腐を食べていましたから。
ではおまえに反省することは無いのか?と問われれば、それぼくの中の重要性に関わる問題なので、ラーメンの具全部入りみたいに注文されると、2017年の終わりになりますと整理券を渡すかもしれませんし、まさかの反省すること無しって仁王立ちして、お賽銭ではない硬いものが飛んでくるかもしれません。
反省することは、いいことだと思います。反省することがあったとしたら、2016年12月30日から大晦日の朝まで、映画を観ながらしました。抗うことが少し減った自分と、もう少し優しくなりたいなどと省みて、短く寝ました。そう寝ました。
反省と抱負を同じ日にしない。
反省と抱負を同じ日に浮かんだらたぶんそれは違う。
抱負を考えるのもいいことだと思います。抱負が毎年変わるというのも、いいんです。その年が変化に満ちた年であり、今までの自分を変えずにいられないことがあったか、もしくは変わらないといけないことを思う関わりが出来たとか。ただ、自分が抱いた心の中のほんとに重要なことが、昨年の反省と同時にやってきたとしたら、たぶんそれは目標なんじゃないかなあと思うのです。
出来なかったことの反対側には、出来たことがあるわけではないし、それでは2016年の自分に失礼な気がするのです。あの失うことの多かった2016年を、あなたもぼくも、生き抜いて来たのですからね。そして、今年2017年も生きていくのですもんね。
そして、2017年には思考の新しい靴を履いて歩幅も変わっているかもしれません。お気に入りの靴が、いつまでもお気に入りの姿でいたら、それは歩いていないんです。
ということを考えて書いて、下書きを間違って消してしまいながら、もう一度書いたものも、さっきと違う気もします。
と、いかにもっぽいことを書いて、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
砂漠より。
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