今、東京にいます。
大晦日になると思い出す事がある。最悪な中学時代の中で、伊藤くんと東京タワーに初日の出を見に行ったことを。
伊藤くんは、身長が低くていじめられていた。ぼくは、身長が高いだのいろんな理由でいじめられた。ぼくと伊藤くんの家は、同じ社宅の同じ棟に住んでいた。ぼろぼろな社宅で、コンクリート木造3階建というのが珍しいのか、学校の郷土史料室にモノクロの写真が飾ってあるくらい古い建物だった。
ぼくらはいつもぼろぼろ社宅に一緒に帰った。眉毛の上を切ったり、青くなった目の周りをお互い屋上の物干し場で、救急箱を持って来ては手当し合った。
教師には何度か訴えたけど、さらに酷くなるので、自然とぼくと伊藤くんは、屋上でいじめの痕を消してから家のドアを開けるようになっていた。
屋上から遠くに東京タワーが見えた。
伊藤くんのお父さんは中型タンカーの船長で、滅多に帰ってくることはなかったけれど、帰ってくるとたくさんのお土産を持ってきた。ぼくも知らない国の、どうやって遊ぶのかわからないおもちゃや、本物みたいなモデルガンをもらった。
人に話すようなあまり良い思い出がなかったけれど、中学の3年間は大晦日の紅白が始まった頃に、家から出て伊藤くんと東京タワーを目指した。いちばんてっぺんの特別展望台で、初日の出を見たいからだった。なにか良いことがあるような気がしたからだった。
ある日、いじめに遭いながら屋上へ登る階段を、早足で息を切らして登ると、伊藤くんは懐からモデルガンを出して泣きながらぼくに手渡した。火薬の音がするだけの金色に塗装されたモデルガンだ。
屋上まで駆けつけてきたやつらに、伊藤くんを後ろにして、モデルガンを構えていた。空に向かって引き金を引いた。パンっと乾いた音が響いた。やつらも、ぼくらも腰を抜かした。
どれぐらい屋上にいたかわからない。サイレンの音が聞こえて金網から下を覗くと、パトカーが止まっていた。まもなく、今とは違う黒っぽい制服の警官が目の前に現れた。
「それは、モデルガンだね?それでも人に向けてはいけないぞ。なにがあったか話してくれるかな?」
一瞬で二度目の腰が抜けた気がした。
今まであったこと全部話した。
警察官は、すべての話をメモして無線機のマイクに、
「事件性無し…」
みたいなことを喋って、ぼくら2人の手を取って立ち上がらせた。家で待つ父親にすべて話をした。
1週間くらいのあいだ静かで、傷痕も無い生活ができた。されたことの心配をされて、したことの反省もした。
屋上から遠くに見える東京タワーを見ながら、泣きながら笑った。伊藤くんとぼくは、老朽化した社宅を解体するのが決まって、次々と引越ししていく中でも、屋上に昇って小指の第1関節みたいな東京タワーを見ていた。
引越しが進むと入り口が鉄筋で閉鎖されていった。最後まで残っていたぼくらの家も、引っ越しの日取りが決まった。
最後に伊藤くんとふたりで、遠くに見える東京タワーの赤は、はっきりと覚えている。淡い願いを抱いて登った東京タワー。伊藤くんと登った最後に、歓声が上がる朝陽が昇る方向と180°違う方向で、男の人が女の人を包むように寝ていた。
いろんな人が、せせら笑ってエレベーターで降りていった。
不意に、
「この人たちは、さよならをしているんだ!」
と大きな声が出てしまった。
伊藤くんと見ず知らずのギターケースを背負った人だけが、頷いてくれた。
伊藤くんは、どこかの私立の学校に行って、また会おうとも言えないまま手を振って、笑って別れた。
あれからものすごく年月が経った。
伊藤くん、今ぼくは東京にいます。
あの頃より、
ほんの少し東京タワーに近いけど、
あんまり見えなくなったけどね、東京タワー。
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