肌の色で戦ったことが無いボクら
いくらか今日は夜が過ごしやすいですが、やっぱり湿度が高い夜中な2017年7月26日です。
今日は、二人の方の面接がありました。その二人とも外国の人でした。履歴書は事前に届いており、外国の方を迎えることは、初めてではないのですが、それなりに緊張してました。これが日本の方でも採用する側も緊張しているんですよ。だって初めて会うことには変わりがないのですからね。
面接の時刻前に、もう一度履歴書を見るわけです。今日の二人の履歴書には、共通点があります。
それは、顔写真がありません。性別も書いてありません。年齢もわかりません。扶養者の有無や婚姻も書いてありません。
では、何が他に書いてあるかといえば、志望者本人の意気込みが先ず書いてあり、どういうことを学んだか(学歴)どんな仕事をしてきたか(職歴)、あとは手持ちの仕事の資料を面接当日に見るわけです。
この履歴書ひとつとっても、肌の色や年齢や性別で判断しないことになるまでの先人の闘いの結果勝ち得たものだといつも思うのです。それが、イコール外国っていいなということではなく、
ボクらは肌の色や顔、婚姻の有無、性別で戦ったことがあるだろうかと考えます。
もちろん、今でも様々な差別があることも知っています。この国でも闘いはありましたし現在進行形です。
闘えと言ってるのではなく、なるべく闘わずして変わっていくことを実現するのが、21世紀だとしたら楽しいと思うのです。怒りにまかせてはいけない。それこそ駄洒落ではなくて、舟の錨のように停滞することのようだと思うのです。
ところで、面接の二人は採用ということになりました。ボクの次の予定を訊かれたので、1000円で髪切りに行くけどと言うと、一緒に行きたいということで、初体験のあの掃除機を、男女二人で関心してました。酒という言葉をサキィではなく、酒と綺麗に聞こえたので、導入研修たぶん短く済みそうです。
ああまたこんな時間になってしまった。私事で悲しいことがありましたが、誰かのプレイリストを持って朝から暑い中地下鉄で聴いています。
読んでくださりありがとうございます。
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