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老いてなお

※以下、若干デフォルメしております。寓話としてお読み頂ければ幸いです。



I thought you died alone a long long time ago
あんたはもう遠い昔に独りで死んだと思ってたよ
Oh no, not me
いや違うね、俺じゃあない

『世界を売った男』
デヴィット・ボウイ



10年ほど前には、
いつ死んでもいいとのりたまふていらした、父母。

かれど、
年老いてなお、
おいしい食べ物を訪ね歩き、
御朱印を求め方々へと足を延ばし、
さりとて死と向き合うでもなく、
生に恋々と。

声は大きく、
批判が好きで、
世間智頼みに、
他を腐すこと、
他を巻き込むこと、
他人ひとの心のわからぬは、
あたかも世界の中心の如し。

信条はなく、
思想もなく、
本も読まず、
節操もなく、
諌める者もなければ、
彼らが敬うものもない。

嫉妬深く、
東京に来たれば、
折につけ、
リア充(死語)アピールに余念なきを見るにつけ、
老醜ろうしゅう”という言葉が浮かんだものでしたが、
行き来を断ち、
彼らを支えているものの正体がわかってみると、
何ということもない、
至極平凡である。

欲と豊かさ。

欲とは、
あられもなき人の姿、
その鏡、
離れぬかぎり満たされぬ、
快であり、
苦であり、
稚児にもある、
誰にでも、
いわんや年老いてなお、
なお豊かであれば、、、、、、、、


戦後に生まれ、
平和を享受し、
右肩上がり、
貧しきを知り、
夢を語り、
よく働き、
豊かさを知る世代。

右肩上がりといえば、
“平均寿命”も(※)。


https://www.mizuho-rt.co.jp/publication/2019/articles_0152.html
(※平均寿命とは死亡時年齢の平均ではない。0歳児が何歳まで生きるかの余命の平均であり、ゆえに子どもの死亡率が高ければ平均寿命=平均余命も下がるとのこと🔗



巷間、
人生100年時代などというようで、
寿命が延びるとは、
死が遠ざかると言い換えられますが、
戦後ニッポン人は、
死を無きがものの如く、
蓋をするように、
遠ざけてきたとも言いうるのではないでしょうか。

目先の欲にうつつを抜かし、
生存を所与のものとして、
無防備に、
力を否定し、
平和を祈り、
死と向き合うこともなく。


こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』
三島由紀夫



人とは現に今、
ここと具体的に名指しうる場所に生きて有り、
死につつあるものである。

死とは己の死に他ならず、
必定であるゆえ、
死と向き合わずして己の生存について知ることは叶わず、
己の生存に無知なる者は無知ゆえに、
無防備で、
無自覚で、
無節操に、
欲に任せて生きるのみ。

水は低きに、
人は易きに流れ、
熱あるものはいずれ冷め、
生あるものはやがて死ぬ。

戦後ニッポンという80にならんとするこの“老人”は、
いつまで己の死から目を逸らし続けられましょうか。


このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。

同上



衣食足りて礼節を知るなどと申しますが、
50年以上前に三島が喝破したように、からっぽで、抜け目なく、富裕であっても、礼節に欠ける、節操なき老人はもはや珍しくない。
死生観が欠如しているからでありましょう。

かつて栄華を誇った“経済的大国”で、今、老いてなお、死の何たるかも知らずに死につつある、
生に恋々としながら。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に、年老いた聖人の死に際し“奇跡”を期待する人々が描かれておりまして、
同様に、
年老いて死に近づきつつある父母に何事か、
老成した人間の徳のようなものを期待していたわけですが、
そんなものはない、
かといって、
醜いわけでもない。

死生観がないのも、
節操がないのも、
なくても生きてこられた時代だったからであり、
何処にでもいる、
豊かさを知る最後の世代の、、、、、、、、、、、、平凡な日本人でありましょう。

とはいえいくつになっても父母というものは特別な存在らしい、
今ふと来年傘寿のお祝いに、せめて『楢山節考』でも贈ろうかと思い、まだ子として何事かを期待しているのだと気づきました。
もう互いに口をきく気にもなれなくなつてゐるというのに。

節操とは、
己にとって変わらぬもの、
常なるものを守り続けることをいうのであれば、
節操なき者には、
常なるものもなく、
無常ということもわかりますまい。

そうして、
老いてなお、
今が終わらず続いていくのだと。



『鏡見美人』
葛飾北斎(1760~1849)



よき分別は老人に、
とかつては言ったものですが、
検索すれば知識が情報として簡単に手に入る現代。
経験値(知)が軽んじられるようでは、
年長者に対する敬意も生まれぬと。

うまく歳を取ることが難しい時代、
老人だけではなく、
モラルや徳が軽んじられる、
節操なき時代なのかも知れませぬ。

最後までお読みいただきありがとうございました。
本稿は“老害”を糾弾するものでも、“世代間闘争”を助長するものでもございませんが、もし不快に思われたのでしたらお詫び申し上げます。


怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮していこう。

『ブッダの真理の言葉・ダンマパダ』
中村元訳





このひとを
節操がないといったら
シバかれますかね