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政治のはなしをするときは


あくまでも処世術として。いい大人なんだから、いい大人として振る舞いましょう、という話です。




いい大人なのに

世間的に避けた方がいい話題の頭文字をとって、
「政宗の皿」
聞いたことがある方は少なくないかと存じます。政治、宗教、のは野球、皿はサラリー、つまり給料のことで、うわべだけの付き合いがメインの私としては気をつけていることではある。

若かりし頃、立場が上の方と雑談中に、MLBで活躍しているある日本人選手の話題になり、日本にいた頃とはフォームを変えたみたいですね、と言ったら感情剥き出しのレスが返ってきてうんざりしたことがあった。

「変えてないよ。何言ってんの」「いや先日テレビで特集してまして」

「変えてないって」「いや変えたことで向こうのピッチャーに適応できたっていう」

「変えてないっていってんだよ。何で君が勝手に変えるんだよ」「いや変えたのは私ではなくて」

「変えてないって言ってんだよ、俺が」「なるほど」

「変えてないの。わかった?」

後で知ったがNPBの頃から見ていたというファンだった。にしてもまあまあ残念だった。頭の切れが良く、周りにいると色々学びのある人だったので残念というのが半分、もう半分は大人って結構馬鹿で幼稚なんだという虚しさ。まあおっさんとなった今となっては私自身馬鹿で幼稚でも、それでいいのだと開き直ってはいるのですが。

以来うわべだけの付き合いにおいては、当たり障りのない話題を心がけ、たとえ贔屓のスポーツ選手の話題を振られても、知らぬ存ぜぬを貫いてきたが、こないだまた、馬鹿で幼稚な大人をみた。まあこちらがいくら避けようが相手のあることなので致し方ない。


政治のはなしを聞くはめに

音楽の話が噛み合う元上司で同業者K。この男とはうわべだけとはいえ十年来の付き合いで、飲むときはサクッと一時間だけ、プライベートの話はしないという暗黙のルールがある。そんなKと町中華で飲んでいたときのこと。テレビで先頃行われた内閣改造のニュースをやっていて、何でも新しい外務大臣が「女性ならではの視線を外交に」なんておっしゃったとか。Kが食いついた。

「外交と女性ならではって、関係ないよな。政治家のこういう発言て誰得なんだよ」

まあ、アラフィフにして少年のような目をしてロックを語り、世界情勢だの環境問題だのに一家言あるらしいことは薄々感じていたので、Kの食いつきは想定内だ。適当にいなしていればいい。飲み始めてもうじき一時間になる。

「メディア受けのいいことを言っただけじゃないですか」

「メディア受けのいいことを言うのが大臣の仕事か。政治家って卑屈だよな」

「メディアに叩かれるよりはウケた方がいいでしょうね。やっぱ影響力ありますから」

「そのメディアよ。女性閣僚何人とかさ。だから何。女性だから大臣になったわけでもないだろうに」

「いやあるんじゃないですか。現にメディアに取り上げられてるじゃないですか。好意的に」

「いやいや。政治がメディアに踊らされてちゃ駄目だね。メディアを使いこなすくらいじゃないと」

「いやメディアは左も右も政府系のもあっていいけど、基本は独立してないと駄目じゃないですか」

「サナキダ君さあ」

「何ですか」

「きみこういう話、必ず否定して避けようとするよね」

「いやそんなことないですよ」

「それだよ。いやから入るんだよ」

「なるほど。最後に何か一杯飲んでいきますか」

「俺まだ話してるじゃん。最後の一杯とかきみが決めるなよ」

「そうですか。でもそろそろ」

「サナキダ君、いくつだっけ。もういい歳だよね」

「そのはずですが」

「歳相応の話題ってあると思うんだ」

Kにとってそれは政治のはなしだったようだ。まさか先輩であり年長者でもあるKに向かって、政宗の皿という世間知があってだななどと訓示を垂れるわけにもいかない。
それから小一時間、近年稀に見る退屈な時間を私は過ごすこととなった。話している当のKは充実した様子だったので、こやつの役に立てたと思えればいいのだが、さにあらず。ぜんぜん思えないのだ。うわべだけの付き合いをなんと心得る、このたわけ者めが。

いい歳をして正論を滔々と述べ、異論を認めない馬鹿で幼稚な大人を目にしてげんなりしてしまった。いやお前も馬鹿で幼稚だろうと突っ込まれれば、おっしゃるとおりですが、私は誰かをげんなりさせたくないので馬鹿で幼稚な本音を曝け出さないよう努めているのです。それがいい歳をしたおっさんの正しい振る舞いだと思うから。


正しい振る舞い

私たちは日々、本音を押し殺し、相手との力関係を考慮した上での言動を求められている。権力者の言うことは無下にはできないが、ペーペーの若僧が、力のない者がいくら正論を吐こうが誰も相手にしないことくらい弁えている。

ところが、政治を語るとはまさにこの正論を吐くことであり、正論を吐き、対立する相手の異論は認めないのが政治というパワーゲームです。
国連でウクライナの大統領がロシアを非難していたが、我が国のメディアは大変わかり易い。ウクライナは善、ロシアは悪だという。ただしこれはNATO側から見たときの正論というだけのことで、と一言あれば、ずいぶんと見方は変わるだろうに。
祖国を防衛するための戦争はたとえどんな戦争であっても常に正しいと昔ロシアの文豪がいったそうだが、その通りだと思います。

ウクライナにもロシアにもNATOにも、それぞれの正しさがある。そしてそれぞれの間には厳然たる力関係も。

地球温暖化という政治マターがありますね。二酸化炭素が原因だという。だから脱炭素社会だ、カーボンニュートラルだ、GXだと主張する向きがある。
一方で、二酸化炭素が原因とは証明されていないのだから、脱炭素だの何だのというのは疑わしい、これは環境利権絡みの陰謀論だという向きも。
どちらが正しいのかはさて置き、カーボンニュートラルは世の趨勢であり、世の趨勢を、例えばグローバル企業は無視できないし、企業がこの問題に取り組もうとするのは正しい姿勢でしょう。

政治的に正しいからとかコンプライアンスだから正しいというのではない。企業は自社が生き残るために戦略的に正しい振る舞いを選択する必要があるという、それだけのことで、株主からしたらそういう経営陣が求められるのだし、たとえ陰謀論を支持していたとしても正しい振る舞いを選択できない経営陣は従業員からしてもただの無能でしょう。ウクライナだってロシアだって同様なのです。


政治のはなしをするときは

正論とは局所的なものだと割り切ること。いい歳をしたおっさんの分別として、正論など畢竟、ポジショントークに過ぎないのだと弁えること。
これは諦めでも冷笑でもありません。異論も認めつつ、正しいポジショントークをすることもまたいい歳をしたおっさんに求められる振る舞いでしょう。
右も左もノンポリも、いやニヒリストだって互いにポジショントークだと弁えていれば、多少なりとも建設的な議論になるのではないでしょうか。

とはいえ正論というものは、いや正義というものは人を鼓舞し恍惚とさせるらしい。町中華でKと過ごしたあの時間を苦々しく思い返すと、上記のポジショントーク云々は私の「理想」に過ぎないような気が致しまして、これからも政宗の皿なる世間知を実践していこうと思うわけです。
歳相応の話題も結構だが、歳相応の振る舞いも大事だと自戒の念を込めて記し、結びとさせていただきます。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。