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泣く女
フラナリー・オコナーの小説に、家出少年と思しきヒッチハイカーが若い男の運転する車に拾われ、道中、二人が会話をするだけの短編があった。
随分前に一度読んだきりだから、もしかしたら思い違いかも知れぬが、若い男が唐突にこう言う。
“母親ってのはいいもんだ”
すると少年は車を停めさせ、プルタブほどの雨粒のふりしきる中、車を降り、二人は分かれる、それでお終い。
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(1925~1964)
作者による説明はない。
タイトルは失念したし、読み返そうにも手元にはないけれども、文学作品の受け取り方は人それぞれあるように、母子の関係性も、それぞれにありましょう。
ワンオペという言葉もなかった時代。
家事と経済活動の責任が明確に分かたれている家庭にて、ある日のこと。
子育てに関し何かが気に入らなかったらしい、お前がしっかりしていないからだと、父に強く叱られ、大粒の涙を落としながら母が泣いていた。
いくつの頃かも憶えておらぬが、成人し、パブロ・ピカソの『泣く女』を観ていたら、ふと氷解したことがある。
母親というものは子どもにとっては特別な存在といえども、それ以前に何処にでもいる平凡なひとりの女性であるという、当たり前のことですが、
オコナーの短編のあのセリフは、子のために自分を押し殺し、善き母親であろうとする女性への賛美と感謝だったのではあるまいかと、今、振り返ってみると、そのように思います。
あたかも土砂降りの中ろくに歩けもせぬ悪路を駆け足で迎えに来てくれとばかりに、たったひとりの女性に多くを求め過ぎていたのだと。
そうして彼女は、それに応えようとしていたのだと。
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感謝と賛美、
あるいは愛憎、悲喜こもごも、
皆様それぞれにございましょう。
お読みくださりありがとうございました。
Mother, you had me but I never had you
I wanted you, you didn’t want me
So I, I just got to tell you
Goodbye, goodbye
John Lennon