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悪魔も憐れむリテラシー



リテラシー(literacy)とは、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。

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美容外科医がご献体を前にピースサインで記念撮影、SNSに投稿し炎上🔗。言い訳もズレているとさらに叩かれ、上長の総括院長も「動機は善」だったなどと当該医師を擁護するような発言をして火に油を🔗

問題は死者の冒涜、尊厳の欠如でしょうに。
何が“悪”かを分かっていない(ふりかな)。

バ◯発見器などと呼ばれて久しいSNS。
叩かれぬためには、“悪のリテラシー”が必要でありましょう。


Pleased to meet you
お会いできて光栄です
Hope you guess my name 
我が名に見当をつけて頂ければ幸い
But what's puzzling you 
なにぶん人を困らせるのが
Is the nature of my game
この私という奴でして

『悪魔を憐れむ歌』
The Rolling Stones




“悪”とは悪いものである、
といえば子どもでも分かりましょうが、一部の美容外科医の不品行をもって美容外科医のモラルとはこんなものと断じる暴論もあり🔗、悪いからとて矢鱈滅多ら叩く風潮も如何なものか。

自己保身、身内擁護が先行しての論点ズラしとの批判の声もあるようですが、あまり処罰的にならず、保身も擁護も人情としてなら理解できなくもない、というくらいの余裕があってもいいのでは?

というのも、軽いノリのピース写真を見てふと2004年のイラク・アブグレイブ刑務所での捕虜虐待を思い出し、渉猟していたら以下のページに行き着きまして。



記事は軍法会議にて有罪となった元兵士を取り上げたもので、看守による捕虜虐待は情報機関が奨励していたとあり、だとすれば組織的な人権蹂躙となりますが、興味深いのは、元兵士によるメディア批判です。


England氏はStern誌に対し、〈中略〉メディアが画像抜きで記事を掲載していたら、この一件が世界的なスキャンダルにはなることはなく、イラクの暴徒に米軍への攻撃を激化させる根拠を与えることもなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、という。
(※傍点筆者)

同上


メディアの報道には功罪ある。
一部の者の悪行を視覚に訴えることによって、結果的にイラク人の米兵全体への憎悪を煽り立てたのがその“罪”である、というのが元兵士の指摘ですが、捕虜虐待は悪であるという自覚があればこその批判であり、一方で、ただ承認欲求を満たすことしか考えていなかったであろう件の美容外科とは、この自覚の有無、すなわちリテラシーの点において、雲泥の差があるといえましょう(捕虜への虐待は、上層部の奨励支持があったとしても到底容認できるものではありませんが)。


美容外科医と参加者ら
グアムにて解剖後


戦時下もしくは占領下にある敵国に身を置いていればこそ、兵士が自身の生存に関するリスクに敏感であることは容易に想像がつきますが、悪を暴くことが必ずしもいさおしではないということは、善悪が絶対ではないと同義である。

自己保身、身内擁護ということを先に述べましたが、兵士の家族他、近しい人からでも、米兵の生存リスクを高めるメディアは“悪”と映ったとしてもおかしくはないということは、少なくとも人の情として理解できましょう。

普遍的、絶対公平な報道ジャーナリズムの正義などあり得ぬように、誰しも己の立場、感情、モラルを抜きに世を眺める法はない、したがって善悪も、それぞれに。


米兵と捕虜の遺体
アブグレイブ刑務所


アブグレイブ刑務所で行われた捕虜虐待に限らず、いかなる虐待も、冒涜も、生者であれ死者であれその尊厳が傷つけられることなど、絶対に、、、あってはなりませぬ。

しかしあるのが世であり、暴かれるのか自ら晒すのかという違いはあれど、“悪”なら何でも排除すればいい、叩けばいいというものでもないという気づきを共有したく、本稿の起筆に致った次第、お付き合いくださりありがとうございました。

誠に申し上げ難いことではありますが、時には清濁併せ呑むのが正しい、“善きこと”であるいう場合もございましょう。

世は綺麗事だけでは成り立ってはおらぬことは皆様ご承知の通りであります。

悪が“悪い”のは当たり前。

されど、
暴いては、
さらなる災いをもたらす悪もある。


I shouted out,
私は叫びましたとも
Who killed the Kennedys?
ケネディ家を殺ったのは誰なのかと
When after all
でも本当のところは
It was you and me
あなた方と私なのですがね

『悪魔を憐れむ歌』


次期米政権は色々とパンドラの箱を
お読み頂きありがとうございました