"ジャッジはよくない"というジャッジがよくないという無限ループ
こんにちは。さなはなです。
何ですか、この題名(笑)
自分でもどうかなと思ってますが、とりあえず書いていくことにします。
おつきあいください。
わたしは25年間、
「私(の教え)が一番正しい。私がすべての答えを持ってるから、自分で考えずに何もかも私に確認しなさい」
という師匠の教えを学ぶコミュニティに所属していた。
今思えば、余計な経験をして傷つかないようにという師匠の親心的な愛情だったのかな(いや、違うな)
このコミュニティから抜け出した脱洗脳話は、始まったばかりの別シリーズで書いてるので、良かったら覗いてみてください。
そこでは、あらゆる事象を潜在意識をベースに検証するという、師匠の考察会(セミナー)が毎月あったんだが、そこで良くない癖がついてしまった。
それは【ジャッジ癖】
良い。悪い。
正解。不正解。
「私は批判しているんじゃないだよ」
これ、師匠の口癖。
相手や周りが批判と捉えたら、それは批判では?
「そんなつもりで言ってない」
とか
「そんなつもりでやってない」
は都合のいい言い分だ。
洗脳が解け始めてからは、考察会の内容も誰かの批判にしか聞こえなかった。
もし、進言したら受け取り側の問題だと返されただろう。
批判じゃなければ、何なのか。
「事実を検証しているだけ」
らしい。だとすれば、事実の検証にはジャッジは不要なはず。
その事実を見て、自分がどう思うかは自由でしょって思うけど、
当時は、本当はなんか違うと感じているのに、師匠の言う正解を
むりやり上書きしてた。
どう思うかを質問されて、正解じゃないと訂正されるし。
Aさん:へぇ。あなたはそうするんだね。そんな考え方があるんだぁ。
Bさん:わたしはこう思うかな。そんでもって、こうするかな。
Aさん:そっか、それも一理あるよね。
これで良くないか?
よっぽど、サイコパスな答えが返ってきたら別の反応するかもだけど。
別の意見を持つことは悪いことなのか?
その意見は万人にとって正解とは限らないんじゃないの?
みんな違いがあるからおもしろいし、だから人間やってるんじゃ?
実は最近まで、わたしのジャッジ癖は抜けきってないという自覚があった。
あらゆるプラットフォームで、自分の意見や思いを気軽に発信できる世の中で、
ジャッジ癖があると正直疲れる。
目につく発信に対して、偉そうにジャッジしているお前は何様なんだ?っていう声が心の奥から聞こえてくる。
ジャッジ癖の奥底には、強い承認欲求や愛情不足(思い込み)という別の理由が潜んでいるんだが、それはまた別の機会に深ぼるとして、
そのゾーンにいると、人をジャッジすると同時に、無意識に自己肯定感が下がり、己を卑下して落ち込むという自分いじめが始まってくる。
(わたしの場合)
だから、ジャッジ癖は良くない。
という、ジャッジ癖をジャッジするという(笑)
はい、無限ループの始まり~。
でも、大丈夫。
わたし、魔法の言葉を見つけた。
「それってあなたの感想ですよね」
ジャッジ癖からの無限ループを遮断する言葉。
元ネタとは違う使い方かもしれないが、わたしにとっては言い回しが完璧。
この言葉のおかげでジャッジ癖が抜けた。
ありがとう、ひろゆき………..さん。
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