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パラレルシフトの境目って後でわかるよねって話
こんにちは。さなはなです。
療養中はインプット過多だったので、どんどんアウトプットして
脳内に隙間を作るべく連日投稿してます。
パラレルシフトの例えで飛び石の話ってよく出てきますよね。
まるで飛び石をジャンプするみたいに世界線を移動する…みたいな。
意図的に飛ぶ石を選択してジャンプできることってあるんだろうか。
わたしの場合は、あとで振り返って、
「あの時がジャンプの境目だったな」
と解釈することが多いです。
ジャンプという行為は意図的でも、
選択する石までは明確にわかっていない気がします。
もし、事前にわかっててジャンプしてるって人がいたら
ぜひコツを教えて欲しいです。
今振り返ると、この度の入院中にパラレルジャンプした境目が
わかったので書いてみようと思います。
やる気スイッチ完全OFF
ラジオのつまみ
手術は免れたものの、別の血栓による新たな梗塞や
後遺症を恐れながらの入院初日。
万が一のことがあっても、病院だから大丈夫と言い聞かせ、
もしもをイメージしながら一人ベッドに横たわってました。
このまま死んだらどうなるんだろう。
急に血流よくなったら別のところに血栓詰まるんじゃ…
ちょっと心臓抑え気味にできないかな。
など、ちょっとよくわからないことを考えてました。
まるでラジオのつまみみたいに、
自分の命のメーターをゆっくり左に回してトーンダウンする感覚。
これ以上つまみを回し続けると、
本当に心臓が止まってしまう気がして、
怖くてそれ以上は進めずイメージするのをやめました。
まるでアミダラ姫
自分の意志では臓器を操れないとはいえ、
生きる気力がトーンダウンする生々しい感覚。
たしか、スターウォーズに出てくる
アミダラ姫ってアナキンが闇落ちしたことで
心が張り裂けて亡くなった気がする。
「心の持ちようでそんなに簡単に死んじゃうの?」
とアミダラ姫の死にショックを受けた記憶があります。
(実際はルークとレイアの出産が死因らしい)
「これじゃ、アミダラ姫やん…」
気の持ちようで人は簡単に生きる気力を失い、
死に向かい始めるのかと、かなり心が萎んでしまった夜でした。
別の石に飛んだぞ
「自分のために」ばかりの人生
翌朝、お腹が減って目が覚めました。
お腹が満たされると心も満たされる。
人間の体ってよくできてます。
これは自分に向き合う絶好のチャンス。
その時間を与えられたんだ。
と気持ちが前向きになり本を読み始めました。
病気や事故を忌むべきもの、治すべきものととらえているうちは、病気や事故を受け入れていないことになります。病気が治らないなら死んでもいいという考え方も、いつ死んでもいい、生きることに執着はないという態度も、死ぬ原因となり得る病気や事故をまだ受け入れ切れていない段階だと言えるでしょう。そこには、「自分のために」がまだ残っています。
昨夜、いつ死んでもいい、生きることに執着はない
と考え始めていましたからドキっとしました。
「自分のために」がまだ残っています。
この文章が浮き上がって見えました。
わたしはずっと「自分のために」という人生を送ってきたからです。
自己愛とか自分軸とか、そんなことじゃないんです。
わたしはこれまで、自分がいかに傲慢だったのかと気づかされました。
偉人の名言
さらにこの本には、正岡子規の名言が書かれていました。
悟りとは、平気で死ぬことではなく、平気で生きることである
難病を患っていた正岡子規は、すさまじい激痛をともなう病状で、
ずっと這うような生活をしていたそうです。
朝は痛みで目が覚め、何とかしてくれと大声で泣き叫ぶ毎日。
この言葉は、そんな状況で出てきたものです。
悟った人、ほんとうにわかった人は、
つべこべ、うだうだ言わず、何があっても平然と生きていくのだと。
これは沁みました。
今後の人生の指針となる言葉になりました。
この時、私はこれまでとは違う石に飛び移ったのかもしれません。
天皇の四方拝
この本がわたしのバイブルとなる所以がもう一つ。
毎年一月一日早朝、歴代天皇が東西南北に向かって祈りをささげる四方拝。
「今年もし日本に災いが起きるならば、まず私の身体を通してからにしてください」
そうやって天皇は皇太子の時代から教え込まれるそうです。
これには驚きましたが、同時にとても納得できました。
なぜなら、天皇の祈りの力と尊さを感じとれる
不思議な夢を見たことがあり、その夢の意味を理解できたからです。
「私の身体をまず通してから」というのは、
国家や国民に降り注ぐ災いを一部肩代わりするということ。
病気や事故は、自分の大切な人、大好きな人の一部肩代わり。
家族、親族、友人、仲間…
みんなの顔を思い浮かべ、
少しずつでも肩代わりできたかな。
わたしで良かったよ。
誇りに思うよ。ありがとね。
と、自分の身体をさすりながらつぶやいていました。
シナリオどおり
こころの研究家 -小林正観-
ものの見方・考え方・生き方を多くの人々に伝え、
2011年に亡くなったこころの研究家・小林正観さん。
正観さん曰く、
「人生のシナリオは決まっている」
過去の自分の選択も、これからの選択も、
選んだ結果はすべて生まれる前に自分が書いたシナリオどおり。
悩み抜いて選んだ結果がシナリオどおりなら、
恨んだり、愚痴や泣き言を言ったりするのは意味のないことだから、
そんなことはやめなさいと。
わたしは、この考え方が好きです。
「この設定きついんですけど!」
と文句を言うことまでもがシナリオどおりなんでしょうね。
なんか笑えてきます。
どの石にするかは気にならない
結果が決まっているのなら、
どの石を選ぶかを事前に把握しようが、
後で気づこうがどうでもいいってことです。
結果が決まっているのなら、
安心して身を任せられる気がします。
だって、脚本家はわたしなんだから。
※おすすめ書籍
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