【歴史記事】太陰暦と太陽暦の話。
(2023年の7月とか8月とかに書いていた物があったのでアップします)
やっと歴史解説記事の復活です。うん、書くのに時間がかかるので……。基本このシリーズはライトな文章で簡単に書いていこうと思います……、っていうか難しい文章書けないわ、私が。
今回のテーマ『暦』
さて今回は暦系の話。
現在も使うことは使うのですが、ちょっとわかりづらいし、日常では(職業云々だと認識せざるを得ない方々もいらっしゃいますが)あんまり認識されていないのが暦系の話かなと。というわけで今回はそのあたりをまとめて解説しようかなーと思いました。基本は太陰暦にフォーカスをおいて話を進めてます。
旧暦はいわゆる『太陰暦』
太陰暦の概要
旧暦というものは、いわゆる『太陰暦』というものです。月の動きを基準にして暦を作っております。太陰暦は農耕のサイクルに対応して作られているもなので、農耕社会ではこちらのほうが使いやすかったんですね。
月周期なので基本は28日ですが、ずれが生じるのでうるう月というものがあり、さらに年ごとに設定が違うこともあり、生活にはいわゆるカレンダーというものが必須でした。一番有名なものは伊勢暦かなと。
なお、日本がなぜ太陽暦使用になったかというと、明治時代の欧化政策がきっかけです。そういうわけで明治の序盤はいろいろな社会システムが変わりました。相当な混乱があったとのことです。
数え年や旧暦の年齢
ところで旧暦を使っていた時代は、年齢の数え方は『数え年』というものでした。これは生まれたときの年齢を1歳として数えるものです。太陽暦と比べると、太陰暦の年齢+1歳が現在我々が使っている年齢です。ちなみに旧暦の月も太陰暦+1月で現在使用の太陽暦の月になります。
暦と言えば旧暦は1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬となっています。古典の学習の際間違えやすい点ですね(ぶっちゃけ古典は赤点野郎でした。文法分からなくて。歴史的知識の問題でなんとか点を稼いでました。興味はあったんだけどな……)。
簡単に変換したいときは旧暦の暦関係は基本+1すると太陽暦に対応すると考えると分かりやすいです(前述のように基本的に旧暦28日サイクルで太陽暦30日、さらにうるうでずれるときもあるけど)。
日常生活での年齢の数え方
ちなみに生まれ年の言い方ですけども、太陰暦を使っていた人々は例えば元禄〇年という元号を使って表したりはせず、六十干支(ろくじっかんし)という干支を使った十干と十二支の組み合わせを使って60年1サイクルのもの(甲子とか乙丑といったもの)で自分の生まれ年を表して、甲子の生まれです、といった風に言っていました。旧暦使用の時代は平均年齢的にもこれでもちょうどよかったんでしょうね。ときどき90年とか生涯現役しちゃう人がいましたが。
旧暦雑記
旧暦の年齢で脱線すると、人間50年~という敦盛のフレーズで有名な織田信長は49歳で亡くなった、とされていますが、これは太陰暦の年齢です。太陽暦の年齢だと48歳なのです(まあ『敦盛』が旧暦時代に作られた狂言なので49歳で考えたほうが感覚的に近くはなるなあとか思った)。
こんなややこしい旧暦ですけども、最近はインターネットとかスマホアプリで簡単に調べられるようになってますので、それらを使うと簡単に旧暦の日付等が調べられるようになっています。
……この話にユリウス暦とグレゴリオ暦の話も混ぜようかな~と思ったのですが、長くなるので別記事で書くことにしました。またいずれ。