
運を味方に付ける生き方
こんにちは。さなぎです。
突然の自慢をしてみます。
わたしはおそらく運がいい人間です。
もちろん多数の不幸や不運はありましたが、結果的には収まるところに収まっていると思っています。
…一体どうした?笑
おかしくなったのではなく、先日こんな本を読みました。
「運がいい人の法則」
なるほど!と納得することが多かったのでシェアしたいなと。
周りによく「人生うまくやってるよねー」と言われますが、わたし自身はそんなつもりはなく、ただ目の前のことを一生懸命やっていただけ。
のらりくらりとしていたわけでなく、考えに考えて今に至ります。
今回はそんな“運を味方に付けている気がする“わたしの考え方のお話。
笑顔が明るいと運はやってくる

わたしには一見矛盾している特徴があります。
自己肯定感が低い
運はいいと思う
自己肯定感と運。
真逆な位置付けなのでは?と思うかもしれませんが、だいぶ違う気がします。
自己肯定感=自分を好きでいられるか
運=巡り合わせた結果、現状起きていること
自己肯定感は“思考のクセ“、運は“事実として起きていること“。
わたしが“自分の運がいいな“と思うことはこんな感じ。
夫と出会え、息子にも恵まれ、幸せ
お金にそこまで困ることなく暮らせている
実家の状況を反面教師にし、早く結婚した
これから起こりそうなトラブルを回避出来ている
実は少し前に実家の方の家族間でちょっと揉め事がありました。
今回も例の如くヘビーなので詳しくはお話出来ないのですが、わたしにとっては大きな損にもなり得るし、なんだか不平等だなと感じていたこと。
しっかりした“姉“とちょっと不安定な“妹“。
早く結婚して幸せそうな“姉“と最近結婚してやっと幸せを見つけた“妹“
わたしはいつも「お姉ちゃんは大丈夫だから」と言われていました。
いわゆる贔屓をされていたのです。
贔屓していたのは…祖母。
(家出経験のある母ではありません)
母の家出後に母親代わりをしてくれていた祖母。
分かっていましたよ。
分かっていたんだけど、やっぱり事実として出てきちゃうと寂しいというか、切ないというか。
一見いい人そうに見えますが、無自覚で人を傷つける悪いところがあります。
あと小さな嘘を付くのです。
どうでもいい嘘ならいいんです。
違う。後々結構響く嘘を付くんです笑
わたしと祖母のバトルに関しては母に仲介してもらい、わたしがかなりの妥協をする形で事を終えました。
まぁ…悔しいですが、もう終わったので心の奥底にしまっておきます。

今現在。
新たなトラブルが勃発しそうな予感。
そしてそこには危うくわたしも巻き込まれる可能性がある内容だったのです。
わたしはギリギリのところで回避しましたが、またしても巻き込まれているのは実の娘である母。
母が最近わたしにこう言いました。
「〇〇ちゃん(わたし)、良かったよ。あの時妥協してて。安いもんだよ。これ、あのままいってたらまた巻き込まれてたよ。」
状況を客観視してみると、確かにかなり巻き込まれそうな雰囲気でした。(ヘビーな案件のため詳しく話せず申し訳ないですが…)
母はこう続けます。
「わたしね、〇〇ちゃん(わたし)は幼い時からすり抜けていけると感じていたよ。笑顔が明るいから運が寄ってくるんだよ。」
なんとタイムリーな言葉。
そう。
運が寄ってくる人は「笑顔が明るく、いい運を引き寄せる」らしいのです。(決してスピっているわけではありません)
母が伝えたかったのはちょうどこの本に書かれている「仕草・表情」の部分かもしれません。
話している時の笑った回数、アイコンタクトの回数がポイントだそうですよ。
確かにわたしはアイコンタクトがかなり多め。
会話の中でも基本的には笑っています。
なんかちょっと嬉しかった😊
母の家出当時は憎むまでいかないですけど、「なんで、どうして」と怒りがありました。
時を経て、今はとてもいい関係。
2人ともが関係修復のための努力をしましたから。
そうそう。夫の笑顔☺️はトロけそうなほどの笑顔で癒されます。
息子も見事に受け継いでいて、2人の笑顔☺️はその場をほっこりさせてくれます。
息子がお友達が少ない中でも、小学校の時にクラスみんなが気にかけてくれていたのはもしかしたらこういうところなのかもしれませんね。
笑顔って大事だな。
不幸や不運も捉え方を変える

そういえば最近、母はわたしと同じことを言ってました。
「新幹線乗ったんだけどね、わたしの1本前まで運休だったのよ。運がいいな。」
母はわたしが高校生の頃、家出をしました。
「ごめんね」というメール以降、消息が分からなくなり2年。
久々に会った時の緊張感たるや笑
何度か喧嘩もしましたが、今はとても仲良し。
というのも、わたしも母も「過去は過去。過去は変えられないよね。だから今から変えていこう。」という考えの持ち主。
いつまでも引きずっていても時間の無駄。
先ほどの運がいいという返信にわたしはこう答えました。
「行動する人はね、運を引き寄せるんだよ。」
彼女は還暦世代にしては何事もチャレンジします。
スマホのアプリを使いこなし(分からないときはわたしに聞きます)、ネット予約でいろんなところにお出かけ。
Apple Watchをプレゼントしたらハマって使いこなす。
気になったらとにかく試し、失敗したら改良を重ねる。
ほら。なんだか似てる笑
わたしの返信に母はこう答えました。
「子どもたちには申し訳ないことをしたなと思うのだけどね。今運がいいと思えているのはあの時外に出たからなのかもね。じゃなかったら大変なことになってたよ。」
今となっては痛いほど母の気持ちが分かります。
母が家出したのは彼女が40歳の頃でした。
わたしの年齢も近くまで迫ってきています。
家庭を持ち、仕事をし、しかも実の親と一つ屋根の下。
家族経営の自営業で、祖父はアル中、祖母は引っ掻きまわす。
父は守りたいけれど婿という立場上、何も出来ない。
だから母は一人で戦い続けた。
さぞかし大変だったことでしょう。

あれから20年が経過しました。
今はみんなバラバラですがそれぞれ平和に暮らしています。
多分“なるべくしてなった出来事“だったのでしょう。(もちろん当時は苦しかったですけど)
きっと私たち親子は不幸や不運を『成長』や『経験』と捉えているから運がいいと思えるのでしょうね。
もう一度あの不幸を味わいたいか?と聞かれたら絶対嫌ですが、あの経験のおかげで自分の人生の考え方が変わったのも事実。
貴重だけどほろ苦い経験。
「ありがとうございました✨」と感謝することにしましょう。
日々学び続けてこそ、運がいい

『出会いの数で運を引き寄せる。』
またまたスピってることを言ってますが、やはり開く扉は多い方が良さそう。
なんでもそうな気がします。
何もやらずに「分からない」と言うより、やってみて“どんなことが分からないのか“が明確な方が手を差し伸べてもらえます。
出会いといっても人だけではありません。
考え方、ツール、本までさまざま。
要は『経験値の蓄積』こそ、自分の選択肢を広げてくれると思うのです。
言い方を変えれば「数撃ちゃ当たる」というやつ。

私たち夫婦が息子をN中等部に入れたのもそこ。
埋もれながら、苦しみながら頑張った経験は小学校で十分蓄えました。
中学校はちょっと道から外れて、みんながしないような経験をする。
選択肢は自分で広げていく。
そう考えると夫も考え方は同じかも。
彼は“目の前の出来事を客観視する“のが得意。
客観視した結果、ダメならさっさと切る。やれそうなら突っ込んでみる。
その見極めが上手いなと思います。
彼の育った家庭ではそういうタイプはいなかったように思いますが、彼はどこでその力を養ったのでしょう。謎です。
類は友を呼ぶというのでしょうか。
わたしの周りには前を向いて進む人が多いのかもしれませんね。
わたし自身もまだまだ学び続けよう。
そう思えた一冊でした。
今回はここまで。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。