朝の葛藤を乗り越えて
こんにちは。さなぎです。
前回の記事で「毎朝いろんな親子を見かけた」とお話しました。
今回はそのお話。
いろんな家庭があって、
いろんな考え方がある。
子どもを思ってしていることが傷つけているかもしれない。
逆に子どもの良い面を殺してしまっているかもしれない。
わたしも朝の葛藤と戦いながら暮らしてきた身として、改めて考えてみようかなと思います。
ぜひ最後までお付き合いください。
無理やり連れていくことはいいことなのか
息子が苦戦し始めたのが2年生の春。
「通学団が苦手」から始まりました。
そこから5年間、毎日送り迎えをしてきました。
当時は多少”コミュニケーションは苦手だろうな”と認識していましたが、徐々に教室前で固まるようになる。
2年生のうちはまだ小さいこともあり、授業も短い。
「お菓子買ってあげるから頑張ろうね🍬」なんて今では考えられないよく分からないことを言って釣っていました。
もちろん本人もずっと頭が2年生のはずもなく。
「行けないものは行けない」となり、教室前で固まる日々。
当時はわたしも今よりも仕事が忙しかった(正確には外に出る仕事が多かった)こともあり、「早くしないと仕事出来ないでしょ」という気持ちが先行していました。
結局わたしの場合はフリーランスということもあり、息子の今後を考えて5年かけて仕事を自宅や持ち出せるように調整をしてきました。
で、フリースクールという選択肢に辿り着きました。
さてさて。長くなりましたが、毎朝のように見る光景はこんな感じ。
お父さんが子どもを運んでいる時、衝撃の一言を発していました。
『学校行かないとな!警察に捕まるぞ!』
おいお父さんよ。嘘はあかんよ(笑)
その後数日見かけましたが、めっきり見なくなりました。
行けるようになったのかな…。
なんとなくお休みしている気がします。
もう1組の親子もこれまた衝撃でした。
確か2年生くらいの女の子です。
ファミリーカーのスライドドアを開けて、女の子が出てきたと思ったら。
速攻でドアを閉めて車で立ち去る。
『おかあさぁぁぁぁん!』と泣きながら道路へ飛び出す女の子。
おいおいおいおい。マジかよと思いました。
幸いにも教頭(現在の校長)が道路にいたのですぐ保護されましたが、すごくびっくりしました。
この子もまた、最近は来たり来なかったり。
無理矢理学校に行かせることの弊害を直で感じました。
諦めてしまうことがいいことなのか
次は逆の例。
当時1年生の女の子。
担任の先生が苦手で学校へ通えなくなる。
「行きたくないみたいだから」とお母さんは平日でも外に連れ出すようになりました。
するとその子は外での楽しみを知ってしまいます。
結局6年間1人での登校は出来ませんでした。
お母さんはパートに出ることも多く、その間はずっとお留守番。
学習面では1年生でストップしており、これからどうするのかな…とわたしが心配しても仕方ないですが、かなり大変な状況になっています。
どうやらADHDの診断が下りたようですが、『将来は支援してくれるところで働ければいいよ』とお母さんが言っているのを聞いた時、なんだか少し悲しい気持ちになりました。
子どもの人生をあなたが決める筋合いはない。
わたし「それでこの後どうするの?」
お母さん「うーん。分からない。どうしよう。」
そもそも考えていなかったのを聞いた時も悲しくなりました。
そりゃ1人っ子ではない子だから、他のお子さんにも気を配らなければいけません。
それは分かるんだけど、「分からない」で済む問題ではない。
この時『あ…たぶんわたしはこのお母さんとはもう離れるんだろうな』と直感で感じました。
結論、親の捉え方で子どもの運命が決まる
子どもは親の持ち物ではありません。
ましてやペットでもありません。
1人の人間として自分の近くに生まれてきてくれた大切な子。
どの家庭にも仕事があるし、経済状況もそれぞれ違います。
無理矢理行かせることの弊害としては
・むしろ学校が嫌いになる
・親への不信感につながる
・自分はダメな子と思ってしまう
諦めて放置することは
・その子の未来を捨てる選択になりかねない
・もっと輝ける場所を見つけられたかもしれない
・違う方法でフォロー出来たかもしれない
わたしは「毎日30分くらいまでは付き合う」と決めて教室前で一緒に時間を過ごしました。
もしその日が辛くて仕方なかったら「給食までいようか。その後迎えに来るから」と時間を決めました。
本当に辛くて仕方ない日は「今日だけ休んでいいよ。明日は行こうか。今日はゆっくりしよう。」と伝えました。
もちろんわたし自身も葛藤は常にありました。
幸いなことに息子の行動でヘルプが2年生でだったこと。
わたしの妹が学校で苦戦していたこと。
わたし自身の家族に対する憧れがとても強かったこと。
(複雑な家庭環境だったので家庭優先に働くつもりでいた)
5年という時間はかかりましたが、中学校から路線を変更しフリースクールへ通うことに。
これもまた葛藤はありました。
この気持ちが浮かんできた時はこう考えるようにしています。
「そもそも普通ってなんだろう?」
普通に通っていても、ダメな時はダメなんです。
普通に勉強していても、大学に落ちるときは落ちるんです。
普通だから絶対大丈夫なんてこともない。
こう考えるようにしたら「自分が変われば未来は変わるかもしれない」と思えるようになりました。
わたしの座右の銘です。
自分のサポートの方法を変えることで、息子自身が変わるかは分からない。
でも選択の幅は広がるだろうから、そこから未来はきっと変わる。
子育てに正解はありません。
わたしの今の選択も正解かなんて分かりません。
でも少なくとも”選択肢の幅を広げた”ことに意味があります。
「親の葛藤」は結局のところ親のエゴなんです。
その前に日々の子どもに対する付き合い方を考えた方がいいかもしれない。
もしかしたら”過去の自分”に執着して、その意見を子どもに押し付けているかもしれない。
子どもは素直です。
その素直さって本来は活かしてあげるものだと思います。
時には休んでリフレッシュ。
時にはちょっと頑張る日を作る。
親も一緒に成長できるように考え方を柔軟にしないといけないなと。
わたし自身も全く不安が消えたわけではありません。
ただただ今をまず変える。
今が変われば未来も変わるかもしれない。
そんな期待と不安を胸に4月からの生活を楽しもうと思います。
今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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