ことばの響き
言語従事者(「医療従事者」になぞらえて勝手に造語)である私にとって、「ことばの響き」はかなり大きいものです。通訳現場では、「お客様にとってわかりやすい訳語を」が大前提。よって、漢語よりも大和言葉の方が良しとされます。
たとえば「コウギ」と耳から聞いた場合、いろいろな語が浮かびます。抗議、講義、広義、厚誼から、ちょっと語尾を伸ばせばワンちゃんの種類かとさえ思えます。それぐらい、同音異義語が日本語には多いのです。
一方、大和言葉なら訓読み漢字を使ったり、補足したりすることで理解しやすくなります。「デモを行う」「レクチャーをする」「広い意味では」「親しくしてくださること」という感じで置き換えられます。
ところで私の場合、「ことばの響き」から勝手にイメージを作ってしまった語がいくつかあります。たとえば、
「つまびらか」
例文では「事件の真相がつまびらかになる」など。「詳しい様子が明らかになる」という意味なのですが、「びら」の部分が「花びら」と似ているようで、キラキラしたイメージが思い浮かぶのです。
一方、私が難儀した語の一つが「あやめる」という単語。これは「危害を加える、殺傷する」という事件性の語なのですが、なぜか「あやめ」のお花を一瞬連想してしまう。全然違うのに、と思います。
最後に「如才ない」という表現。「ない」という否定形があるので、ネガティブなニュアンスを抱いていたのですが、これは誉め言葉。「あの人は如才ないよね」は「愛想が良くて気が利く人」という意味です。
ああ、ややこしい。
だからコトバは楽しい!!