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静かに見守る

随分前にこんなエピソードを読んだ。登場人物は二人。一人は長患いを経てようやく回復し、もう一人はその知人。久しぶりに二人が会うこととなった。知人は当人にこう言葉をかけた。

「元気そうで。」

これを聞いた当人の家族はすかさず「これでもだいぶ元気になったのよ」と答えた。何しろ家族にとっては容体回復まで一丸となってサポートしてきた経緯がある。大変な経験を一家で経てきたのだ。

声をかけた方は「元気になって良かったですね」という気持ちを伝えたかったのだろう。でも、当人にしてみればまだ全快したわけではない。体力も消耗する。家族も苦労した。そのようなことを相手は露知らず、のんきに「元気そうに見える」と言ってきた。そのことに当人と家族は内心複雑な思いをしたのだそうだ。

随分前にヒットしたテレビ番組のセリフに「同情するなら金をくれ」というのがあった。「安っぽい同情をするぐらいならいっそのこと金銭を」という思いが込められているフレーズだ。すべてがお金で解決するわけではないけれど、この表現前半の「同情するなら」という部分は、実は意外と当てはまるように思える。

同情する人というのは、一見優しい言葉をかけたり、上記のエピソードのように相手を安心させたいという思いで言動をとったりする。でも、薄っぺらな思いやり表現ほど当人を傷つけるものはない。そのようなことを口にするぐらいなら、いっそのこと放っておいてほしいとさえ当人は思うのだ。

世田谷事件で家族を亡くした入江杏さんは、事件後、周囲からの同情的なことばで、より傷つき、心の行き場を失ったと著作で述べておられる。人への思いやりというのは、ことばが暴力になることさえある。だから何も言わず、傍から静かに見守ることが一番の心のこもった愛情とも言えるのだ。


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