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「勝つ」より「負けない」より「負けてみる」

*2020年12月18日初出。
2024年12月現在、私が娘に勝てることは何一つなくなりました。「親の沽券」とか、何それ美味しいの?です。笑笑


不登校のお子さんの親御さんとお話する機会がありました。不登校の子どもと言っても単純に一括りにできるものではありません。原因も状態も個々人、それぞれに異なります。

お会いした方々のお子さんの不登校タイプが全く異なっていて、学校に行っていないこと以外の共通点がなく、互いのお話に目から鱗…ということもめずらしくないのですが、昨日はむしろその逆。タイプが似ていて、出来事に対する反応に似通った点が多々あり、話のそこここで、「あー、そうそう、そうなんですよー。」という元気の良い(笑笑)相槌が聞かれました。

詳細をお伝えすることはできませんが、みなさんのお話をうかがって私も思い出したことがありました。

目の前にいる子どもは、学校に行っていないわが子です。私はこの子に対して、「学校には行かなくていい」という譲歩をしたわけです。すごい譲歩です。だから、その代わり規則正しい生活(早寝早起き、お手伝い)するとか、塾やスポーツクラブやフリースクール行くとか、少しはそういう「誠意」を見せてほしいのだけど、本人にはさらさらそんな気はなくて、期待するたびにがっかりするし、自分ばかり譲歩して、子どもに負けたみたいで悔しくなりました。

学校と折り合いが悪かったというだけでも大変だったのに、この上さらに折り合い悪いところがたくさんできて、この子社会に適合できるんだろうか? そこをスルーしてしまうって、親として教育を放棄したことにならないんだろうか?

真面目できっちりした親であればあるほど、こんなふう↑に考えて自分を、そして子どもを責めてしまいがち。自分がそうだったから本当によくわかります。

子どもの言い分を通すのは、子どもに負けた気がしていやだ。

正直、こんな気持ちです。いいなりになってしまったら親としての立場が危うくなるし。でも近頃私は、親が子どもに勝っていいのは年の数だけ…と思っています。

勝ち負けを明らかにする空気感は疲れますし、子どもに勝ちたいと思うのは少々大人げないかもですね(←過去の私です。いや今も時々…)。

だから私は、「勝つ」より「負けない」、
「負けない」より「負けてみる」をできるだけ実践してみようと思っています。

でも最近、本気で頑張ってもあっさり「負ける」ことばかりで、勝てる時に勝っておけば良かったと、時々思ったりしています。残念。笑笑。

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