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聖書—希望と共生の物語 谷本仰牧師のお話を聴きました。

*2020年8月26日初出。
子どもの居場所はたくさんある方がいい。
学校、家庭、フリースクール、図書館などはそうですね。あと、教会。たとえばこちら、南小倉バプテスト教会では、8/26の2学期開始日に合わせて、毎年SNSにこんなメッセージを発信されています。2024年8月26日はこちら。↓

〈始業日。学校行くのがいやな人もいるよね。で、結構、死にたくなるほどの思いになったりする。実際死んでしまう人もいる。もし、この近くにそんな思いの人がいたら、ちょっと一息入れに来ていい。そんな空間です。
本日午後3時まで、お菓子やらそうめんやらもあります。大人もどうぞ。ちょろっと顔見せに立ち寄るだけでも嬉しいです。コーヒーでも淹れましょう。
大丈夫、だいじょうぶ。

南小倉バプテスト教会:福岡県北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072〉

ありがたいですね。そんな南小倉バプテスト教会に4年前お邪魔しました。その時の記録です。

・夏休み明けが辛い不登校児童生徒に居場所を用意してくださっている南小倉バプテスト教会の谷本仰(たにもとあおぐ)牧師。昨日、短歌の友人古島信子さんのお誘いで、南小倉バプテスト教会の聖書講座に参加させていただきました。講師はもちろん谷本牧師。この講座は月一度のペースで、もう三年続いているそうで、今年はコロナ禍で三か月中断がありましたが、現在再開されております。今回は「誕生」4:「クリスマス」って、なんだ?をお話しいただきました。

谷本牧師の「みなさんのクリスマスのイメージをお聞かせください。」から始まった講座。救い主イエスの誕生を祝うという晴れやかさをイメージした人が多かった。けれど、谷本牧師のリードで、イエスの誕生が唯一記された聖書に忠実に読んでいくと、必ずしもそうではなかったことがわかります。

当時のパレスチナ世界とローマ世界の軋轢の中に生まれたイエスは、「たまには平和が訪れてほしいと心底願ってもそれは無理なのだと思うしかない、そんな世界に生まれてしまった者」であり、クリスマスはそんな日々の中の一日なのだというお話は印象的でした。
聖書はその創世記から超常現象的記述で描かれています。「不思議なことがあるものだ…。」そこで思考停止するのはもったいない。昔々の物語ではなく、「今、ここ」の感覚を持って、今現実に起こっていることを、聖書に当てはめて考えると見えてくるものがあるという言葉も示唆的でした。

「マリアについて考える。なぜヴァージンマリアなのか。ヨセフはそんな女性をなぜ見捨てず、連れ添い続けたのか?そこには、抗えない、マリアの側には落ち度のない、むしろ同情すべき理由があったのではないか。出産間近の身でナザレからベツレヘムまでの100Km近くを歩いて移動したマリアとヨセフ。おそらくは10日を超えたであろうその旅の宿を貸してくれた人々が少なくともその夜の数だけはいただろう。そして、いよいよ出産となったその夜、宿を貸してくれた家、またその近隣の人々はきっとさまざまなものを持ち寄って若いマリアの出産を手伝ったことだろう。生まれた子は飼い葉桶に寝かされた、とあるがそれは決してぞんざいな扱いではなく、当時としては最もふかふかした心地よい寝床であったにちがいない。イエスは当時、可能な限りの人々の善意の中に生まれてきたことがわかる。」

とてもざっくりしたまとめで恐縮ですが、谷本牧師の読みによるイエスの誕生です。どんなに悲惨な現実があっても、そこには必ず人間の繋がりがあって、どんなに痛めつけられてもその中で助け合う人間がいる。なるほど。イエスの誕生は単に聖書に描かれた救い主の誕生譚ではなく、今を生きる私たちの希望の物語であることを実感しました。

 聖書は人間の物語。 
 希望と共生の物語。
 
子どもたちに聴いてほしいなあ。
谷本牧師の語りでなら、きっと彼らの元に届くと思うのだけれど。

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