義母と娘
*2021年8月27日のブログより。
私の夫の母、つまり娘の父方の祖母マッコさん。素敵な人でした。娘が不登校になった時はもう彼岸の人だったけど、マッコさんがこの世で慈しんでくれた記憶が娘を救ってくれたのだと思っています。感謝しかありません。今年ももうすぐ祥月命日がやってきます。
昨日は義母の13回忌でした。祥月命日は9/4なのですが、今年はその日が「筑紫歌壇賞贈賞式」だったので前倒しすることにしました。結局式典は緊急事態宣言で中止になったのですが、それはそれ。その日はまたあらためて墓参にまいります。
にしてももうまる12年。早い。義母、というより、マッコさんと呼んだ方がぴったりくるこの人は、夫の母で私にはいわゆる姑です。でも「姑」らしいこと(笑笑)をされたことは一切ありません。男兄弟の母だったせいか、娘が欲しかったらしく、義妹(夫の弟の妻)も私もとても可愛いがってもらいました。
音楽が好きで子どもが好きで、お洒落が大好きで、長く自宅でピアノ教室を開いていました。モダンな人でした。
直接血縁のない私たち嫁ズにも優しいマッコさん、うちのトラ子が生まれた時は大喜びでした。それはそれは可愛いがってくれて、童心に帰って(素だったという説濃厚ですが)トラ子と遊んでくれました。
私は、というと高齢で授かった第一子だったこともあり、心身ともに疲弊。今でいうところのワンオペ育児でかなり限界間際まで追い詰められていました。
眠い、だるい、話がしたい、原稿が溜まっている、トラ子は泣き止まない…。
こんな状況で優しい母でいるなんて絶対無理です。そんな時、トラ子を連れていくと必ず笑顔で迎えてくれたマッコさん。トラ子と遊んでもらっているその間、仮眠を取ったり、仕事をしたり、本当に助かりました。たっぷり遊んでもらってトラ子もご機嫌。私も鋭気を養いました。
そもそもトラ子はこのマッコさんにそっくりで、血の繋がりのすごさを強烈に感じさせられました。感性も似ているのか、二人は名コンビ。私に叱られてもマッコさんのところに行くとすぐに機嫌が治りました。私に叱られて泣くトラ子をぎゅっと抱きしめて、「お宝、お宝、トラ子ちゃんはお宝なんよ。」とささやくマッコさん。その魔法の言葉はいつもトラ子を笑顔にしてくれました。
そんなマッコさんが亡くなったのはトラ子11歳、小学校5年生の時。悪性腫瘍の治療中、抵抗力が下がったところを感染症による敗血症で他界してしまいました。長い闘病は嫌だと日頃から言っていたマッコさん。らしいなあ、と思わせる見事な旅立ちでした。
存命中、本当にトラ子を愛しんでくれたマッコさんですが、亡くなってからもトラ子を守ってくれました。
トラ子が中学1年生の時、いじめに遭って放課後の学校から行方不明になったことがあります。(その時の経緯を思い出すだに怒りが再燃しますが、今は置いておきます。)お金も持たず、食べ物もなく、いったいどこへ、と探しまわっていたところ、友人がたまたま見つけてくれて保護してくれました。
どこに行ってたの?と尋ねると「マッコさんち」と答えたトラ子。亡くなって2年近くが過ぎ、無人のその家に、距離にして10キロ近くあるその家に、トラ子は一人、歩いて行ったのです。鍵かかってたやろうけど、どうしてたん?と聞くと、「ドクダミが生えてる庭にずっとうずくまってた。マッコさんがドクダミって教えてくれたなあって。そこにいたらちょっと元気になったから、おかあさんが心配してると思って帰ろうと思って…。」
マッコさん、ありがとう、トラ子を守ってくれて本当にありがとう。その帰り道に私の友人がトラ子を見つけてくれたなんて出来過ぎです。(私、今号泣してます。)
その後、いじめをめぐる諸事情については学校側ときっちり話をつけました。トラ子の命が危なかったという事実に対して、学校側も誠意を見せざるを得なかったというところでしょうか。これもトラ子がマッコさんの家に行こうと思ったからこそ。あちらの世界からトラ子を守ろうとしてくれたマッコさんの思いが伝わった気がします。
その後も不登校をはじめ、さまざまな障壁にぶつかってきたトラ子。でもその度になんとなくブレイクスルーしてきたのは、何か大いなるものの力が働いているのではないかと思うことがあります。
でもそれ以上に、マッコさんに深く深く愛された記憶が、トラ子の人間を、世界を信じる気持ちの根底にあるような気がするのです。
マッコさん、ありがとうございます。トラ子、マッコさんにそっくりな面白くて優しい子に育ちましたよ。これからも見守っていてくださいね。