娘が考えるいじめの構造
*2019年11月20日初出。
現在娘、帰福中。
5年前のブログを懐かしく思い出しました。
昨夜、娘からメール。
「ちょっと思い出したから、忘れないうちに書いてみました。全てのいじめが、このパターンではないけど、私の場合はそうだったんだと思う。」
なるほど。そして、その後、こんなやりとりが続きました。
娘の中で、客観性が育っているのがわかります。娘を辛い目に合わせた人間に対して、正直、私は娘ほど寛容になれません。娘の辛そうな顔を思い出すたびに胸が痛くなります。比喩ではなく、本当に。
娘は決していじめを肯定しているわけではありません。ただ、今の学校という組織のメカニズムの中では、いじめは不可避の出来事なのかもしれず、だからいじめた側も被害者だ、というのです。
娘、すごいよ。
そして、親バカついでにもう一つ。
娘がこの分析図(?)を送ってくれたのは、最近私がオーバーワークなのでは?と気遣ってくれたことによるものらしい。ブログ書くのが楽になるようにって。
娘、ありがとう。感謝です。
寒くなったから風邪引かんようにね。