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連載「当事者家族が語る不登校」を終えて

*2019年10月5日初出。

「当事者家族が語る不登校」①〜⑤、お付き合いくださって、ありがとうございました。以上がわが家の娘、トラ子の不登校です。トラ子は高校進学しなかったので、結局「不登校」だったのは中学3年生の1月から3月の三ヶ月ということになります。

その後の、大学入学までの3年間、トラ子には身分がありませんでした。その年齢なら当然使える高校生割引も使えなかった。普通なら(普通って何だろう…というのはいったん置いといて)凹んでしまうこんな状況も、トラ子は全く気にしていませんでした。毎日、自分が選択した講座に間に合うように予備校に行き、空きコマには適当に外出して時間を潰す。当時は口を割りませんでしたが(笑)、時々はさぼって港の方までいって海を見ていたこともあったようです。

小学校が終わったら、すぐ中学。それが終わったらほぼ全員が高校へ進学。その後の進路はそれぞれだけど、就職するにしても進学するにしても間をおかず、すぐに新しい生活へと切り替えねばならない…。これが日本の教育です。

私たちはこれが当たり前だと思っています。しかし、グローバルスタンダードは違います。ギャップイヤーという言葉をご存知でしょうか。欧米では当たり前のこととして扱われているのですが、大学に合格した際、就学前に1年間ほど「空白期間」を持つことをそういいます。これは日本の「浪人」とは異なり、入学に向けた準備期間ではなく、見聞を広めたり、新しいことに挑戦したりする「自分だけのための時間」として政府が認めている時間なのです。

まあ、いわばトラ子は勝手にこのギャップイヤーを三年間も経験していたことになります。トラ子本人は楽しそうでしたが、実際のところ私はきつかった。この宙ぶらりんな暮らしから本当に抜け出せるのだろうか。昔ほど勉強してなくて、これでほんとに大学行くつもりなんだろうか…。問いただしたいことは毎日毎日山ほどありましたが、そこはぐっと堪えてトラ子のしたいようにさせていました。

私にとっては苦しい日々だったわけですが、トラ子は生き生きしていました。そんなトラ子を見ていて思ったのです。学校に行くことが楽しい子どもはもちろん学校へ通えばいい。でも学校という空間にいることがもう無理、という子に無理やりそこにいさせても意味はありません。そこで得るものは何一つない。一日八時間を週五日、これだけの時間を無駄にしているのはもったいない。

 ここはひとつ、心を決めて。
 疲れているなら、まず休ませて。
 力が溜まって、動き始めるのを待って。
 話してくれることを聞いて。
 いつも笑って。

親ができることってこれくらいしかないのだけど、「私は絶対、何があってもあなたの味方だから。」という気持ちが子どもの支えになります。親の、わが子への信頼感が子どもの自己肯定感を育てます。「根拠のない自信」をもった子どもは強い。

「○○な自分だから、自分が好き」、これって一見正解のような気がしますが、でも○○の部分がなくなってしまっても自分が好きでいられる方がずっといい。「学校へ行っていなくても、仕事をしていなくても、何者でもない自分であっても、それでも自分が好き」でいられたら、その子の人生はとても幸せなものになると思うのです。

大学入学してすぐ、トラ子はマウンティングの洗礼を受けました。高校へ行っていればそこで経験したであろう格付け行為に対して全く無防備だったトラ子はひどく消耗しました。こんなにできないのは自分だけなのではないか、この先続けていけるのだろうか…。一時は落ち込みもひどく、心配しましたが、でもどこかでこの子は大丈夫だと思っていました。だって、不登校のあの時期を、何者でもないモラトリアムなあの時期を乗り越えたトラ子が、こんなことで夢をあきらめるはずがないと思ったから。

よたよたしながらも歩き続けていると、手を差し伸べてくれる人がいました。友人、先輩、先生、大家さん(笑)、さまざまな人に支えられて今のトラ子がいます。この先、順調なことばかりではないだろうトラ子の人生。でもきっと、不登校であった日々がトラ子の力になる。
 
「悩む力」「スルーする力」「頼る力」、不登校がトラ子に授けてくれた三つの力。この魔法の力があればきっと大丈夫。不登校であったからこそ…、今の私たちがあるのです。

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