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当事者家族が語る不登校⑤
*2019年10月4日初出。
イギリス留学を経験し、世界に目を向ける機会を得て、自分の不登校を肯定的に捉えることができるようになった娘ですが、その後は万事順調であったのかというと、そうではありません。予備校も二回変わりましたし、受験に対する情報も圧倒的に少なかった。折々に困ったことに出くわしましたが、でも、娘がきっと自分で考えて何とかすると信じるように心がけました。難しかったですけど。三校目の予備校で、ようやく信頼できる講師陣に出会い、なんとか志望する大学に入ることができました。今でも色々困ったことはあるようですが、なんとか東京で一人暮らしをしています。
娘が不登校だったという話をすると、反応が二つに分かれます。
「大変だったでしょう。」とねぎらってくださる方と、「ああ、わかります、うちもそうでした。」とおっしゃる方。最近、後者の方々が増えてきています。
娘が不登校になった時、来るべき時が来たような気がした、というお話はしたと思います。でも、それにしても、なぜわが家なのか…という気持ちはどうしようもありませんでした。でも、今は、わが家の場合、結果的にはそれで、というか、その方が良かったのではないかと思うのです。なぜなら、不登校になったからこそ、
・進むべき道をみずから模索できた。→娘は今、数学の研究職に就くことを目標に研鑽中です。
・自己理解が深まった。→これは娘のみならず、私に関しても、です。
・自己肯定感が高まった。→娘は今、自分が大好きなのだそうです。
・家族関係が改善された。→それぞれの役割を自覚して、共依存にならない関係を築くことができました。夫のありがたみも実感しています。
お話を聞いてくださったみなさまに改めてお伝えしたいのです。不登校は、その子の人生の終わりではありません。むしろ、新たな可能性の始まりです。学校は、その子の未来への道筋の途上にたまたまあるだけで、立ち寄らないという選択肢もあるのです。
「学びの道は一本道」、私たちはいつの間にかそんな風に思い込んでいるけれど、それで子どもたちが苦しんでいるのなら、考え方を変える余地は十分にあるのです。
・学校に行かずともよしたましひを傷つけてまで行かずともよし
・「不登校」ウィキペディアには書かれざる蛹の中のゆたかな時間
娘の不登校を通じて実感したことを作品にしました。今でもこの思いは変わりません。教育においても多様性が重視される昨今、不登校もまた学びの一環として捉えるべきではないか、今私はそう考えています。