
鈍色の空
*2020年11月30日初出。
昨日から突然の冬。福岡は南国というイメージが強いのですが、玄界灘を抜けてくる風が冷たくて、日照時間が短い冬はかなり寒い。関東以北から初めてご来福(らいふくっていい言葉!)された方が、思いのほか寒い冬の福岡に降りたって、「コート持ってくればよかった…」と呟かれるのはもはやデフォルト。みなさま、冬の福岡にご注意くださいませ。
私はあまり思い出を辿ることをしません(しないというより、ほんとに日々の忙しさにかまけて忘れている)が、この時期、博多の空の色が重い鈍色になる時期は心が自然とあの頃に引きずられます。
7年前の12月。トラ子高校受験まで三か月。志望校はかなりの難関で「万全を期すること」が大事と頑なに思い込んでいる私をよそに、どこかいい加減で、適当な態度のトラ子。
そんなことじゃあの学校、無理だよ。
あそこに行けんかったらどこ行くん?
今の私が聞いたらツッコミどころ満載のお受験母の決め台詞をトラ子に投げつけていました。
空は暗いし、母は重いし…、
学校は辛い。
その一か月後、トラ子は不登校という選択をするのですが、今になって思えば、それはトラ子が自らを守るためのギリギリの決断だったということがわかります。
なんで今?
相談してくれたらよかったやん…。
でもトラ子にはわかっていたんだと思います。相談したところで、またうまいこと言いくるめられて、これまでと同じ毎日が続いていくだけだっていうことが。
私はこれまで、トラ子の不登校について考えるとき、当時の自分がどれだけ辛かったかを考えていたように思います。でも、本当は博多の冬のずんっとのしかかるような鈍色の空みたいだった15歳のトラ子の気持ちをもっと考えなければならなかったと思うのです。
トラ子現在22歳。あれからもうこんなに時間が流れてしまったなんて信じられない気がします。時間はとてもやさしくて、時に記憶の中の「事実」を歪めてくれたりします。でも、あの時のトラ子の苦しさを「美談」や「成功譚」にすり替えてはいけない…。この博多の冬の空は私にキリキリした胸の痛みを思い出させてくれる大切な景色なのです。