【上妙典八幡神社 / 宮世話人のお正月】行徳で最も歴史ある神社のひとつです
皆さま、明けましておめでとうございます。
令和七年も、何卒宜しくお願いいたします。
世間では9連休と話題になったこの冬休み、皆さまはどんな新年をお迎えしたでしょう。そんな私は、地元のお宮行事などで案外テンヤワンヤな年末年始でございました
ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
前にもチョイと書きましたが、私はお宮の宮世話人五人衆の一人、つまり地元鎮守様の神社世話人でして、祭事ごとなどで神社行事を取り仕切るお役目をいただいております。
更にこちらの神社「上妙典八幡神社 / Kamimyo-den Hachiman Shrine」は460年ほど前に建立された神社で、古より「行徳千軒寺百軒」といわれるほど社寺がやたら多いこの行徳エリア内でも、ひときわ歴史深い神社なのです。
その宮世話人として、上妙典八幡神社の初詣を含めた年末年始を記録し、個人noteにこっそり残しておきたいと思いました。
なにより任期のある宮世話人です、書類は残しておりますが映像としても残すことで、後に続く方たちの役にも立つかもしれませんしね。
写真は個人アカウントのInstagramに公開したものをFireShotでキャプチャーしたものなので、Instagramの操作アイコンが写真の隅に出てますが気にしないでください、
私は気になりません( ´,_ゝ`)プッ
令和6年12月下旬 初詣の告知
上妙典=市川市妙典1丁目と2丁目の街の11か所の掲示板に、以下の告知を行いました。
12月25日から年末まで 夜警
夜8時過ぎ、消防団と主に青年会で夜警が行われます。拍子木と錫杖の音がこの地域の歳末の風物詩、私もこの音を聴くと「あぁ、ようやく今年も終わりかぁ~」と実感できます。
12月26日から30日まで
お宮行事ではなく個々の氏子さんのお宅での話ですが、私たち宮世話人が配布した神社の御札を、氏子の皆さんは大体この期間に神棚に祀るようです。
12月30日 初詣の準備
神社の拝殿や幣殿、本殿の掃除はもちろん、神社境内や参道も再度掃除をし、そののち提灯棒を所定の位置に立てて提灯を吊るします。
提灯の中は、現在ではろうそくや裸電球ではなく、キャンプ用LEDランタンを仕込んでいます。
神社の正月飾りは前もって上妙典神輿の四大尊師のお一人であり偉大な守り神、岩崎建設さんにて設置していただいております。岩崎さん、いつも本当にありがとうございます!
そしてこの日、地元の食料品店にお願いしていた神饌のお供物一式が届きます。餅も供物もお飾りも全部無事に揃ってホッと一息。。
この日は神主による年末大祓が執り行われました。
12月31日深夜から令和7年1月1日0時
初詣のはじまり
皆で「夜中の11時から11時半に集合したら問題ねぇ~べ」ってことでしたが、万一不測の事態があってからでは取り返しがつきません。この日は私が夜10時前に一番乗りしてお宮と神輿蔵の鍵を開けましたが、程なくして宮世話人の皆さんが全員集合しました。
もぉ~何だかんだいってみんな働き者なんだから!(*´ω`*)
0時前から何組か並びはじめ、1日0時に徳願寺の除夜の鐘が鳴りだすと同時に初詣の参拝がスタート。次々に参拝者の皆さんがやってきます!
こんな分かりにくい立地のうえ、しかも今夜はとっても寒いのに、なんともありがたいことでございます。。
私は大幣(おおぬさ)でご参拝の皆様のお祓いを、他の宮世話人はミカンと御神酒をそれぞれお配りし、人波が混乱しないようにと誘導を‥。
ただこの夜は風が異様に冷たかったせいか、参拝者は凡そ200人ほどで一旦途切れがちになりました。すかさず宮世話人の副会長I氏が「ねぇ~モチ焼いていい?」と‥。
なんでも私たちの夜食として、キャンプ用コンロで餅を炙ってくれるのだそうです。
しかし‥、まさか拝殿の見えるところで、灯籠の脇で始めるとは思わなかった!さすが神をも恐れぬ御仁だ、私よりはるかにフリーダムでJailbreak(ジェルブレイク)なお方です。
ちなみに宮世話人の会長は事情により詳しくご紹介はできませんが、非常に簡単にご説明しますと、50万人の全市川市民の愛と平和そして微笑みを日夜護る正義の味方、市民の護り人でとってもエラい人です。
1月1日 元旦初詣
前出の通り、日付が変わってドッといらっしゃった初詣の皆さんの流れが一旦途切れたので、私たちは午前2時にお宮を閉めて自宅に戻り小休止、そして初日の出を拝んでから午前9時前までに再度お宮に集結しました。
初詣リブートです。
1日は、深夜も含めて大体600人ほどの参拝者がお見えになりました。
皆さま、ありがとうございます。
1月2日 初詣2日目
1月2日 祝日ではないので日章旗は片づけましたが、まだまだ初詣でございます。とはいえ1日に比べると参拝者の流れも落ち着き、参拝の皆様と世間話が出来るぐらいの余裕ができました。
そしてお話を伺うと、都内に通勤で通いやすいこの町に引っ越してこられたマンションなどの新しい住民の方が意外と多いことを知りました。
そして皆さん、こちらの神社の御札がないかと問われるのです。
確かに初詣で神社の御札を求めるのは至極当然のことですね。
しかし実のところ、この神社の御札は昔から氏子さんたち向けにしか用意しておらず、このような初詣の場でお配りすることは今まで考えていなかったのでお配りできる御札がなかったのです。
でもご要望が多いなら、今後は近隣の神社のように参拝者にお配りすることも考えていいのではないかと思いました。
そしてもう一件課題が‥。初詣で参拝者に日本酒を振舞うのは酒離れの昨今では意外と珍しいそうですが、こと上妙典八幡神社では悠久の時代からの慣わし通りに正月三が日最後の日、その最後の一瞬まで日本酒を参拝者に振舞わせていただいております。
ですがその日本酒が初詣1日目にして既に切れかかってしまい、私が朝イチで近所のイオンまで日本酒の買い出しに行ってきました。
そしていちいちお宮の会計を通すのが億劫なので、私が個人的に八幡様にご奉納させていただきました。これぞTHEマッチポンプです(違うかな?)。
ちなみにですが、こちらの神社で振舞われる御神酒は、このように御奉納され神前にあげられたものを熱燗にして皆さまにお配りしています。お供物のお下がりはご利益があるものですしなにより縁起ものです。今回も久保田や剣菱、松竹梅、日本盛に腰古井、鬼殺しなどなど、高いお酒であろうと気にせずバリエーション豊富に熱燗にしてお配りさせていただきました。
(一部「上妙典八幡さまブレンド」もありました?)
初詣2日目は、凡そ300人ほどご参拝いただきました。
1月3日 初詣3日目
この日は朝から曇りがちで、途中から雨が本格的に降り出しました。
しかも冷たい雨です、こんな日に参拝などしたら誰でも風邪ひきますって。お宮の拝殿の中では灯油ストーブを2つ着けているのに寒い寒い‥。
そりゃそうです。この拝殿には断熱材など一切なく、昔ながらの板っぱ一枚の壁、さらにその板と板の間には一センチほどの隙間があるのですよ、それもいたるところに‥。もちろん初詣客をお迎えするため拝殿の扉は全開放中!
これで寒くないわけがないですって'`,、('∀`;) '`,、
しかし時々雨がやむと、一組二組と参拝者がいらっしゃってくれるのです。
ありがたいなぁ本当に‥。
参拝者から意外とご要望があった神社の御札ですが、拝殿の中をあらためて探したところ、未使用のものを10枚ほど見つけることができました。
テストマーケというと大げさですが、この日は既にお手元にあるであろう氏子さん以外の参拝者数組に、それぞれお伺いをしたうえでお渡ししたところ、大変喜ばれました。
今後は神社の御札を余分に用意したうえで、初詣の際にお配りしてみても良いのかもしれません。
この御札は前出の通り、今まで氏子世帯にしか配られなかったもので「小札」と呼ばれる上妙典八幡神社の御札です。
その御札の形状は昨今よく見る厚紙が入った御札や木札ではなく、悠久の昔からの姿のまま今に伝えられるもので、八幡様の文字が刷られた半紙に印が押された素朴な体裁になっています。
そして小札という呼び名のわりには大きなものです。これを神棚や壁などに貼り付けて奉ります。
午後からは雨がやみ、温かい日差しが差し込んできました。御奉納金やご奉納品をいただいたお宅にお礼の餅を配りに行き、午後3時ぐらいから提灯などの撤去を始め午後4時ごろには全てを片付け終わりました。
初詣3日目は、天候が悪い中でも凡そ200人ほどご参拝いただきました。
この初詣3日間の参拝者は、合計で約1,100人ぐらいでしょうか。
誤差を考えても1,000人前後はいらしていただけたのではないかと思います。昔ながらの家屋が並ぶ静かな街並みの細い脇道の先に、まるで隠れるように鎮座するこのお社に、初詣3日間だけで1,000人の参拝者!
冷静に考えるとちょっとすごいことかもしれませんね。
令和7年初詣のお宮行事はこれにて無事完了しました。
上妙典八幡神社(妙典)
以下に、この上妙典八幡神社のいわれを引用させていただきます。
そもそもは隣接する日蓮宗のお寺「妙好寺」敷地内にあった神社で、その最初の建立時期は妙好寺と同じころ、西暦1565年前後と云われています。
そして現在の本殿は下記の「いわれ」にも記されていますが、今から316年前の西暦1709年に建立されたものです。
しかしそれは300年も前のお話です、2025年の現在では、もう建物自体が大分古くなって傷んでいるのですよ‥。宝くじでも大当たりしたら私が日本最古の建設会社「金剛組」にお願いして改修したいところです。
あぁ、まずは先に宝くじ買わなくちゃだな(;^ω^)
●上妙典八幡神社 いわれ
八幡神社内に現存最古の棟板によれば、宝永6年(1709)八幡宮造営が、篠田彦八郎宗儀と村中諸檀方が行い番匠、則ち大工は、石川勘左ェ門である。篠田彦八郎宗儀とは、篠田重左ェ門の時の当主で、徳川6代将軍家宣の時代になった直後である。
妙好寺と同じく神社自体も篠田重左ェ門家の社が後年この土地の神社になっていったものと思われる。
棟板の表書きに見られる様に御題目を中心として日蓮宗の御本尊が書かれています。勿論これは、妙好寺に隣接した神社でなく 妙好寺と一体の社であったことを示している。明治維新の廃仏毀釈、神仏分離政策によって管理が別になったものであり、 妙好寺の文書中、八幡神社御神体である僧形八幡大菩薩(僧侶の姿のため、御袈裟や御衣を召されている)は、妙好寺什物に記されている。
八幡奉謝(おびしゃ)も記録に残っているものでは、安永9年(1780)庚子正月二十日の 妙好寺第十五世日賢上人の書かれた御曼荼羅を掲げて、数軒の家が年番として順番に毎年1月20日(おびしゃ)を行って来た。
平成11年(1999)まで当番制でしたが、現在は自治会が行うようになりました。
●上妙典八幡神社 みどころ
本殿は方2メートル程の小さな祠で、周囲の壁面に施された彫刻は価値の高いものであります。また、昭和3年9月(平成元年11月修復)に、当村大工宍倉寅吉、宍倉徳太郎両氏によって製作された重厚で宗玄な御神輿は拝殿奥に格護されている。
※八幡神社門前案内板より
抜粋・引用および参考文献
八幡神社門前案内板
妙榮山 妙好寺山門前案内板
市川市ホームページ
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上記記述を一部捕捉しますと、大神輿は現在、この拝殿奥には置かれてはおらず、拝殿に向かって右の建物「神輿蔵」に保管されております。
また上記記述はそれぞれ公文書からの抜粋ですが、いくつか誤字があったことからこちらで修正しております。
いやはや公文書といえど気を抜けませんね。AIのハルシネーションより質が悪いです。
最後に 上妙典八幡神社 ご利益について
私が公私ともに飼いならしている我が眷属のChatGPT4o1に一般的な八幡神社のご利益を聞いてみました。
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八幡神社のご利益は、主に以下のようなものがあります。八幡神は武神として知られており、広く信仰を集めています。
主なご利益
●勝負運・武運長久
八幡神は「勝負の神」「武運の神」として、戦国武将や武士から厚く信仰されました。現在でも、スポーツや競技などの勝負事での成功を祈る人々が訪れます。
●厄除け・災難除け
八幡神は厄除けや災難を防ぐ力を持つとされており、厄年の人や困難に直面している人々が参拝します。
●交通安全
八幡神は旅の安全を守る神でもあり、交通安全を祈るための参拝も行われています。
●子孫繁栄・安産祈願
特に八幡神社では安産や子供の健康を祈る女性たちも多く訪れます。
●家内安全・商売繁盛
地域の守り神として、家庭の平和や商売の成功を祈るために信仰されています。
●学業成就
菅原道真公(学問の神)ほどではありませんが、八幡神社でも学業成就を願う参拝者が見られます。
※由緒ある八幡神社の場合
それぞれの八幡神社には独自の歴史や伝説があり、地元ならではのご利益が信じられている場合があります。例えば、あなたが管理されている上妙典八幡神社でも、地域特有のエピソードや信仰があるかもしれませんね。
どのようなご利益が特に信仰されているかは、神社の由緒書きや宮司さんのお話を伺うとさらに深く知ることができますよ!
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‥との解答が出ました。まぁこれ以外にも、そもそも氏子さんたちが栄える地区の氏神様・鎮守様へのご参拝は、つまりご縁をいただくことは、自らの仕事運や金運も自ずと強くなるのだと云われています。これは神社参拝の鉄則なのだそうです。
あまり大きな声ではいえませんが、この上妙典地区は行徳エリア、そして市川市内だけでみても、地主さんやマンション経営者、会社経営者がやたらに多いのです。でも皆さんつつましく暮らしています。
わたしが何をいいたいか‥、
もうわかりますよね( ̄▽ ̄)ニヤリッ
上妙典八幡神社の場所
〒272-0111 千葉県市川市妙典1丁目11−16