父の青年期
子供の頃から勉強ができた父は、地元の進学校から国立大学の工学部へ進学しました。
いわゆる高学歴なのですが、あまり父からは大学の頃の話を聞いたことがありませんでした。
過去の栄光にすがるタイプの父がなぜ饒舌にならなかったのか、私なりの考察です。
祖父は地方公務員、祖母は独身時代銀行に勤めた職業婦人でした。そんな祖父と祖母の実家は両家とも医療関係の家系で、祖母の父は医師で今で言う開業医をしていました。
祖母は生まれた長男が神童と噂されるほど賢く(※誰が言ったか知りませんが)、また医療関係の血筋であることから、父がいずれ医師になることを相当期待していたようです。
そうはいっても教育ママというわけでもなく、“あなたは賢いんだから医者になれるわ、大丈夫でしょう(のほほん。。)”といった感じです。
父も両親や周囲の人に期待されまんざらでもなかったようですが、如何せん子供の頃から要領良く何でもこなしてきてしまった父は
“できないことをできるようになるために努力する経験”
が圧倒的に足りませんでした。
父は初めて挫折を経験します。それが医学部の受験でした。
どうやら私立の医学部には合格していたようですが、学費が高いため入学を断念したようです。
“国立に行く”と言って2浪した結果、工学部へ進学することになりました。
”国立の医学部に行く”ことが父にとってプライドだったのでしょう。
本来医師になることが夢のはず。
そのために私立の医学部に進学することや、志望校のレベルを下げ受験することは何も恥ずかしいことではなく、むしろ夢を叶えるために必要な努力だったのではないかと思うのです。
できると思ったことができなかったときとてもショックを受けますが、その事実を受け止め、できるようになるにはどうすればいいかを考え試行錯誤します。
それでもどうしてもダメなときは時間をかけ、折り合いをつけます。
多くの人はそんな経験を何度かしながら大人へと成長していくと思うのです。
でもそんな経験をほとんどしてこなかった父は、できなかった事実を受け止められないまま時間が過ぎていってしまったのではないでしょうか。
理想通りの叶え方じゃなくても、一見夢から後退したように見えても、少々泥臭くても、父の能力ならばいつか夢にたどり着けたのではないかと思うのです。(買い被り過ぎでしょうか 笑)
もしかしたら父本人もそんな後悔をしていたのかもしれません。
そして工学部へ進学後、都会で一人暮らしを始めた父はギャンブルと出会います。