20年越しの“自分”との出会い
先月のある日、ある通知を思い出しました。
「タイムカプセルを掘り起こす日」
幼稚園の頃、「20年後の自分へ」宛てた手紙をタイムカプセルとして園内に埋めた。
その通知は再度しませんとのことで、母親がずっと手紙を大事に取っておいていました。
それを2年に1度くらい思い出していました。
その手紙を見る度に「まだだね」と言っていたのに、今年手紙を見てびっくり。
「もう今年じゃん!」
とりあえず、幼稚園に問い合わせる。
すると、「開催します」との回答を頂き、幼稚園が一緒だった子でまだ繋がっている子にも伝え、うきうきでその日を待っていました。
すると、問い合わせが殺到していたのか、「再度通知はしません」と記載があったものの、手紙が幼稚園から届いた。
タイムカプセル発掘の当日
全員合わせて50人くらいだったが、半分以上が親だった。
知り合いのお母さんに聞くと、「子どもが遠方に引っ越した」という理由や「土曜日だが会社を休めない」といった理由が多く、まぁ社会人だしなぁと大人になったことを改めて強く感じた。
会場に着くと、名簿を手にした先生たちが受付をしていた。
当時、私たちがお世話になった先生たちだった。
20年という月日が経っているにも関わらず、ひと目で先生の名前が出てくるほど変わっていなかった。
「名札にお名前を書いてくださーい!」
と言われた瞬間、思わず「はーい」と答えてしまった。
先生たちは癖なんだろうなとは思うけど、なんだかこの一瞬だけ園児に戻ったような気分になった。笑
名札にお名前を書き、
久々に会う友達と話が弾む。
その後時間となり、「タイムカプセルの発掘プログラム」が渡された。
そこにはしっかり「開会式」や「園長のことば」といったプログラムが組まれていて、なんだか学生に戻った気分になった。
いよいよ発掘
開会式では、園長先生からのお話があった。
20年も経ってれば当時とは違う園長先生。
しかし、顔は知っていた。
園長先生の下で働いていた方だった。
当時はあまり喋ったり園児と仲良くしたりという印象は少なかったが、改めて見ると子どもの扱いがうまく、やはり幼稚園の先生であることを再認識した。
私が通っていた当時の園長先生はとてもお年寄りのようなイメージがあったが、とてもパワフルでコインマジックが好きな先生だった。
「園長先生のおはなし」があればいつもコインマジックをしてくれる。
それだけでなく、毎年議員選挙に出馬するほどのパワフルおじいちゃんであった。
このタイムカプセルは幼稚園開園の周年記念と園長先生が100歳になる年だということで記念で埋められたものだそう。
園長先生は100歳になり、このタイムカプセルの発掘を心待ちにしていたが昨年11月に亡くなってしまったそう。
ほんとにあと一歩だった。
さて、
このタイムカプセルはどこに埋まっているのか、という問題が浮かんだそうで、誰もタイムカプセルの存在すらも覚えていなかったらしい。
当時の先生に聞いてもマチマチ、色んなところを掘っても出てこない。
どうしよう!!!とパニクっていたそう。
しかし、ここであろう!という場所を見つけたので、今日はそこを掘ってみましょう!ということで発掘が始まった。
「え、それってないかもしれないってこと?」
と友達と話しながら掘っている様子を見守る。
掘っても掘ってもなかなか出てこない。
「これはない感じのかな、、」
と友達と話していたら、
「ありました!!!」との声が!!!!
またしばらくして、無事タイムカプセルが無事発掘された。
「おー!」という歓声と共に、拍手喝采。
肝心のタイムカプセルはビニール袋の中に入っていて、またビニールに包んで、そのあとも包んで、箱替わりにしていた植木鉢のようなもの2つ組み合わせたものの中もビニールで包まれていて、非常に頑丈に埋めてあった。
中には当時のテープや記念品、ポスター、なぜか決算書なども出てきた、、笑
(絶対ネタで入れたよね笑)
そして私たちの分も、綺麗にクラス別に梱包されて出てきた。
私が書いた手紙の「予想」
私が幼稚園の頃はセーラームーンが再放送されていて、めちゃくちゃ流行っていた時期。
そんな中で恋するシーンがあったりして、それにすっごく憧れを抱いていたのを今でも覚えている。
「将来はスタイルのいい人になって、
イケメンと早く結婚するんだ!」
と思っていた。
なので、私の予想は「けっこんしてますか」とか、「けっこん」の文字がどこかひとつはあるに違いないと思っていた。
私が20年後に宛てた手紙
実際にタイムカプセルから出てきた、「私が20年後の自分に宛てた手紙」はこちら
私の本名は「沙奈」ではなく「なるみ」なのですが(突然noteでは初公表)、私は当時背の順で1番後ろになるほど背が高く、細かったので、周りから「将来はモデルさんだね」とよく言われていました。
(当時は何をする職業なのかわからなかったけど、洋服を着ることだけはわかってた。今思えばなれる訳ない職業、、笑笑)
なので、自分の将来の夢ではなく、周りに言われるからそうなのかもと現実的な方に考え、「もでるのなるみ」と将来の自分を思い描いていたのでしょう、、、笑
私の幼稚園の時の将来の夢は星や宇宙が好きだったので間違いなく、「宇宙飛行士」でした笑
個人的に、絵の中にもう1人誰かがいるのが気になる、、誰?笑
それに、下の幼稚園の絵を塗っている元園児は居ませんでした笑笑
私だけ塗ってました笑笑
絵を描くことは当時から好きで、物語を作ることも好きだったので絵本とかをよく描いてました。
(今回のヘッダーは私が描いた絵です)
でも当時は「絵本作家」という職業があるのは知らなかったので将来の夢とまではならなかった。
でも仮にここで「絵を描くことを仕事にできる」ということを知っていたら、恐らく宇宙飛行士でもモデルでもなく、「絵描く人」と言っていただろう。
20年越しの自分との出会いが
私にくれたもの
私はこのタイムカプセルを開けてみて、昔の自分を思い返して、小さい時ってやっぱ知らないことは沢山あると思うんです。
でも、それなりに興味があったりとか、知りたい!って思う気持ちが大きくて、色々知ろうと思うような年頃。
私はこの当時、大好きなセーラームーンの絵を描くことが日課になっていたため、セーラームーンの絵ばっかりみて、目はどんな風になってるかとかそんなのばっかりよーくみていた。
だから周りの子が描く絵とは
少し違ったのかもしれない。
でも、それもそれで個性だと思う。
私はそうやってあるものを真似したりするのがある意味「趣味」であり、好きだった。
人のをみて、いいなと思ったら自分もやってみる。
ダメだったら他の人を見て真似してみる。
でもそれって小さい子なら誰でもやることなんです。
小さい子は大人を見て育つと言うほど、大人のことに興味があり、よーく見ています。
だからたまに大人が使うようなことを言います。
かいものごっこの時に会計まで進んだら「PayPayで」とか。笑
でもそれって「子どもがよくやること」ではなく、「大人もやるべき」だと思いました。
初めてのことはマネから入るべきだと私は思いました。
大人になって真似をすると「パクリ」と言われがちですが、はじめは誰でもパクってはじめるものだと思います。
そこから色々自分なりに展開していけばいい話なんです。
もちろん、まるっきりパクリのものをこの世の中に「自分の作品です!」って出すのはNGだと思います。
それは盗作と言われても仕方ないですから。
やるなら非公開、公開するのであればきちんと元を出すべきですし、本人にも連絡をするべきだと思います。
こんな「真似をしてた」ことを改めて考えることなんて、タイムカプセルがあって、私のこの絵が出てこなかったら考えもしなかったことです。
私の家は貧乏だったので、皆がハードケースのカード入れを持っていた中、そのカードケースすらも自分で紙で作っていました。笑
時には、テープの表面にテープを貼って端っこを折ると剥がしやすいことに気づき、それを利用して封筒の閉じるシール代わりや、ペンで絵を描いて透明シールを自分で作ったり、シール帳を作ったりしていました。
(めちゃくちゃテープ貼ってたらお父さんには「テープは高いんだぞ!無駄遣いするな!」と怒られましたが笑)
そんなことが当たり前だったし楽しかった。
それが今色々やっていることに繋がっているのかもしれません。
私は周りとは少し違った。
でも私は私なりに楽しんでたなぁと改めて思いました。
この環境だったからこそ身につけられたこともたくさんある。
この環境だったからこそ、できたこともある。
「小さい私」はそんなことを教えてくれました。
みなさんも小さい時に書いたものなどを見てみたら初心に戻れるかもしれません。
気持ちをすこしタイムスリップさせることは楽しいことであり、新しい気づきが生まれるきっかけになるかもしれません。
今の自分になるまで、基礎ができる頃の自分を振り返ってみてはいかがでしょうか。