文章を書くこと
私はこうして文章を書くことが昔から多い。
小学生の頃の作文は、必ずクラスで1番枚数を書いていて、大概7枚は書いていた。
けど、本を読むことはあまり好きではない。
文字を目で追う行為が得意じゃないから。
私は、本を読んでいないのに、文章を書いていて、昔から先生に褒められたりすることがよくあったり、作文コンクールで入賞したこともあった。
でも、そこまで褒められないものもあった。
私が書いた文章で主に褒められたのは、こういった「自分の思い」をひたすらに綴る文章。
私は、私の気持ちや頭の中でモヤモヤしているものをひたすら言語化することで、自分の中で答えを出していく、そういう手段のひとつでもある。
この文章を読んで好きだと言ってくれる人もたまにいたりして、すごく嬉しくなる。
文章を読むのは得意じゃないけど、書くのは得意っていうのはほんとに周りの人からしたら訳がわからない、理解ができないことかもしれないけど、私はそういう人間みたい。
私はふとお母さんに聞いてみた。
「私文章書くの上手いのかな」
お母さんは小説などの本を読むのが好きだから、敢えてお母さんに聞いてみた。
私のお母さんは
「あんたは昔から個人面談でずーっとどの先生にも文章を書くのがうまいって褒められてたよ」
って言ってきた。
え?そうだったの?とその時に初めて知った。
私の書く文章がこれを読んでくれているあなたにどう届いているかなんて、コメントで気持ちを書いてもらわない限りわからないし、この文章が私の心の中をストレートに書いているつもりだが、読んでくれてるあなたにそのままストレートに届いているのかもわからない。
もしかしたら、人によって解釈の違いが生まれているかもしれない。
違った感じで届いているのかもしれない。
けど、私の文章は私の言葉で、私の作った文章で私自身を言語化し、あわよくば誰かの為になったら、誰かの心に届いたら、誰かの救いになったら、心が動いたらいいなって、そう思いながら書いている文章もあったりする。
昔、「携帯小説」というものが流行った時期があった。
私もその時代に携帯小説をひたすら書いていた。
携帯小説なので内容は「ストーリー」。
しかし、それはただのストーリーではなく、ストーリーを作ろうと思って組み立てたのでもなく、私の中の想像や物語をその時思いついたフレーズを繋げてただただひたすらに文字に起こしていた、それだけのことだった。
でも、たくさんの人が読んでくれて、続きが気になると言ってくれて、とても嬉しかったし、書いていて楽しかった。
昼間は漫画を描き、
夜は寝る前に布団の中で小説を書く。
毎日1日中ストーリーを考えることしかしてなかったななんて今ふと思った。
昔を思い出すと、あの頃はつらいことも多かったけど自分だけで自分自身でちゃんと充実させようと頑張っていたのかもしれない。
それと同時に1人でも大丈夫だ、という変な「気持ち」がついてしまったのかもしれない。
けど、それは徐々に私の首を絞めていっていた。
私にとって文章を書くということは、ある意味自殺行為でもあったのかもしれない。
「1人で生きるのは孤独すぎる。」
最近はそんな言葉が頭の中にある。
仲間がいること、話したり色々知れること、人と関わること、それはすごく難しいこともあるけど楽しいということを知ってしまった。
知ってしまったからには、
私はもう孤独ではいられない。
けどこうして文章を描き続けて、
自分の中の気持ちを言語化する。
そうして、自分の中も自分の気持ちも、
色んな力もどんどん上げられる気がする。
私は私らしく、
これからも文章を書いていこうと思う。
こんな私の文章を好きと言ってくれる方、
ありがとうございます。
読んでくれてる方、ありがとうございます。
そして、これからも宜しくお願いします。
夜の呟きでした。