離人症になるまでのお話 part1 「Sちゃん」
まず、私が離人症になるまでのお話をしていきたいと思います。
中学3年生のクラス替えから卒業までの1年間のお話です。
part何まで続くかまだ決めてませんが、キリのいいところで分けて書いていこうと思います。
part1は「Sちゃん」。
中学3年生のクラス替えでいつメンと離れ離れになり、唯一一人だけ同じクラスになったSちゃんといつも一緒にいました。(小学校エスカレーターでいつメン13人くらいいて4クラスに振り分けだったのでだいぶバランス悪い)
Sちゃんは第一印象大人しいけど仲良くなったらたくさん話してくれて、勉強も運動もでき、絵も上手く生徒会にも入っている優秀な子でした。
Sちゃんと、別のクラスの友達2人という特に仲のいい4人で、前年からやっていた交換ノートをクラスは違うけど続けていました。
当時Sちゃんは深夜アニメやニコニコ動画、東方Projectが好きでいつメンの中でよくその話をしていました。
私は中学時代家で自由にインターネットに触れることも、深夜まで起きてることも禁止された家だったのであまり知らないのですが、
一緒に遊んでいるときに見たそれは純粋な中学生からしたら怖くてぐろくて刺激が強いものでした。
ある時から交換ノートにSちゃんが銃やナイフ、血の絵を描くようになりました。
最初こそどうしたの⁉︎となったものの、ハマっているコンテンツに影響を受けているだけだと言われ、そこから絵だけでなく過激な言葉や自◯の方法のような内容を書くようになり、引いてしまう気持ちはあるものの会って話すといつも通りで、何も気がつきませんでした。
Sちゃんはだんだん無気力になり、食事もほぼ食べず、保健室に行ったり休みがちになりました。
私は心配はとてもしていたけれど、食が細くて体調を崩しやすいんだなあくらいにしか思っていませんでした。
まだ梅雨もきていないくらいの頃、唯一のいつメンだったSちゃんは全く来なくなりました。
担任からクラス全員にお知らせという形で、Sちゃんが来なくなったことを話しました。覚えている内容を要約すると、
「家庭環境が大きな要因で、心の病気になってしまった。今は家族さえも面会禁止の隔離病棟に入院していて、携帯の連絡はもちろん、みんながお見舞いに行くことも、先生が代わりに何かを伝えることもできない。復帰するのには時間がかかるから卒業までにはおそらく会えないだろう。このことについて騒がず、静かに復帰を願いましょう。」
ということでした。
交換ノートのあれはSOSであり、自身の願望でした。
大人になった今思えばおかしいところがたくさんあるけど、当時は知識もないし、身近な人に何か起きるなんて思ってもいなくて、私も友達も、誰も気がつくことができませんでした。
その時の教室の中の様子は全然思い出せないけど、
窓の外が、雨は降らないけど晴れる気配も全くない曇り空だったのを、
とても覚えています。
私は一旦クラスでひとりぼっちになりました。
続く