軽症の発達障害ってなんですか?
「もしかして発達障害」
っていう言葉がある。
うちの子は発達障害なんじゃないか、と不安になること。
「発達障害」って言葉が溢れかえっている今、心配症なお母さん達がそうなるのはよくわかる。
私もそう。
うちの子むっちゃできる子!と思いながら「発達障害かも?」と心配するっていう矛盾。
「もしかして催眠」
「もしかして発達障害」
って言うらしい。
この30年くらいで、日本でもアメリカでも北欧でも、発達障害と診断される子が激増しているそうです。
何でですか?
発達障害って、脳の障害らしいのですが
今まで散々見過ごされてきたんですか?
それとも、ここ30年くらいで、子ども達の脳機能に障害が起こるような事(環境ホルモンとか、カップラーメンとか?)があり、異常に増えてるんですか?
他に、ここ30年でこんなに劇的に増えてる病気あります?
異常って書いたけど
実際、数値でいうと異常な増え方です。
今まで見過ごされてきたって書いたけど
今まで、なんとかならしてきた。
多様性なんて言葉はまだなかったけれど
あんな人いるよね〜
あの子ヤバかったよね〜
あの子面白くてさ〜
で、過ごすことができて
残念ながらいじめられたり、空気読めなくて人間関係で躓いたりする事もあったけど
それなりに生きて、幸せも感じて生活してこれた。
そういう人たちを
「障害」ってくくりにいれて
ラベリングして、レッテル貼って
誰になんの得があるんですか?
「軽症の発達障害」
なんて
人の生き方を勝手に疾病化する悪でしかないです。
アメリカのコナーズさんって言う人が、50年程前に、発達障害っていう概念を確立させて浸透したらしいんですが
この人も晩年「軽症例の診断が増えることの問題」を説いています。
つまり、重症で、生活に明らかに支障が出て、どうにもならない、という状態でもないのに
安易に診断されることにより(過剰診断)
●かえって、患者が無力感や恥辱感を抱き、消極的になる恐れがあること
(通級に行くことで、お友達と自分は違うんだ、と思って悲しくなる、自分はダメな子なのかと思い込む、自信ややる気をなくす)
●周囲の人々の様々な問題に対する責任感が低下する可能性があること
(先生等がちょっとした指導の改善、教育者としての適切な見守りをする事を怠り、問題が起きても「あの子発達障害だから仕方ない。」と気づきや成長できる声かけ等の努力をしない)
いかにもありそうです。
我が子、我が子のアホ担任に当てはめると、ありそうすぎます。
さらに
●症状の背後にある個人的、社会的、システム的な問題から目を逸らすことにつながる
とあります。
学校とか教育委員会とか国とかが
「子どもに対して適切な教育をしていないから、溢れる子がいる、もっと柔軟に教育を変えていくべきだ!」
ではなく
今の既存システム万歳!
このままでよし!
溢れた子は発達障害認定で別クラスへ!
と、なりかねない。
コナーズさんは
「これらの懸念を補って余りある症状の改善が見込めるなら、軽症例を積極的に診断する事に意義がある。」
(ただし、現時点で軽症例であればあるほど治療の効果幅は減少)
とし
大枠で
「軽症例に対して診断や治療を行うのはメリットに乏しく、有害性の方が上回る。」
と述べています。
「発達障害」という疾患の存在を明らかにし
「コナーズの評価尺度」を作った人が、自らそう言っています。
なのに、何でこんなに「軽症の発達障害」が増えているのか。
「自称」発達障害も増える一方です。
製薬会社がかなり儲かってるらしいですね。
「児童精神科医」や、それまわりの職種も、少子化に関わらず増えてます。
親は我が子可愛いですし、心配ですから。
何を削っても、子どもの「治療費」にはお金を払います。私もです。
でも、そんな陰謀説めいた事だけじゃないと思っています。
というのも、私自身も、自分の生きにくさを、昨今の流行りに基づいて、軽度発達障害、特性だと思ってました。
自分の個性、特性を受け入れるのは大事です。
でも、それって逃げ口上にも使えてしまうと思うんです。
受け入れに使う「仕方ない。」と
逃げに使う「仕方ない。」は違います。
例えば時間に遅れがちな自分を律するために、ちょっと早く行動するクセをつける
忘れっぽいからメモをとるようにする
みたいな努力もしないで
「特性だから仕方ない。」
「ボクの特性なんで我慢してもらえますか。」
は、絶対に違うじゃないですか。
自分が人に迷惑をかけてしまうような個性があるなら、できる限りそうならないように努力すべきなのに
エキスキューズに使えてしまう便利さと怖さ。
「発達障害は、脳の特性だから、育ちや環境は関係ありません。」
この言葉に、世の発達障害を疑われる子どもを持つママたちは、どんなに救われたことか。
私の子育てに原因がある訳じゃないって、学者が言ってる。
でもこれって、すごく優しいようで、すごく罪な言葉です。
療育の否定じゃないですか。
適切な療育で、発達障害の子どもに改善が見られるんですよね?
再びコナーズさんの言葉です。
「学校や環境が分析されず、個々の子どもが疾病化されると、社会は無反省になってしまう。」
うちの話しです。
息子にたいした困り感はありません。
でも、WISCの数値がかなり凸凹です。
子育て頑張ってきました。
子どもを愛しています。
でも、何か、私の子育てで足りない所があったのかもしれない。
丁寧にご飯を作る事が苦手です。栄養素が足りなかったのかもしれない。
適切な声かけをしていたつもりだけど、息子には、ちょっとベクトルが違ったのかもしれない。
私は逃げたくないです。
反省します。
せっかく高いお金を払って診療して
WISCの結果も手に入れた事だし、子どもの周りの環境を分析します。
そして、息子の凸凹が成長と努力によって少しでも改善されるように
生きづらさがあるなら、少しでも対処する術を身につけられるように
頑張っていきたいと思っています。