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「大阪の退魔師」

 数年前からヘルニアに悩まされていて、軽い運動に散歩がいいですよと言われているのもあって、毎日帰宅時に自宅から一駅から二駅離れた場所で下車し、そこから家まで歩くようにしている。

 ある日、いつものように散歩していると高架下で蝋石で小さな◎をそこら中いっぱいに描いている老人がいた。
なんだろうと思いながらも、そのまま通り過ぎようとすると、いきなり声をかけられた。
「そこ! 踏まんといて!!」
「あ、すいません……」
公道に勝手に落書きをしているようにしか見えなかったが、何かのパフォーマンスか、この人にとっては大切な作品だったのかも知れない。それを不用意に踏んでしまったことを思わず恥じて、私はその場で詫びた。
「全くもう、けしからん。鬼さんが来たらどうすんねん。これはな、結界のサークルやねん」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「せやから、これは鬼を寄せんようにするために結界やねん。あんたが踏んだから効力薄れてもうた。鬼が来たらどないすんの」
鬼、鬼とはあの虎柄のパンツを履いて角のあるあの鬼のことなんだろうか。
自信があまりなかったので、直接聞いてみた。
「鬼って、あの、節分とかに来るやつですか?」
「そうや、あの鬼さんや」
「どこから来るんですか?」
「そらあ、そこら中からや。厄介やでえ、下手したらばんばん人死にが出おるから」
「ほんまですか?」
「あんな、俺の目を見てみい、嘘ついてるもんが、こないな綺麗な目えしてるわけあれへんやろう」
老人は、右手でピースを作り己の目を指した。
そこにはつぶらな黒い目がきらきらと輝いていた。
とりあえず、この人は変だけれど無害な面白いタイプかな?と勝手に思うことにして、私は結界と鬼について更に色々と聞いてみた。
「鬼は見たことあるんですか?」
「あるで、ようおるもん。あちこちに、それも大気汚染が原因のせいやね。この円は二酸化炭素を吸うから、体にええ清らかな魔方陣の結界やねん。あんたが踏まなんだら、なあ……ほんまにもう、気分悪いわ」
「いや、さっきはすみませんでした。こういうのよくやってるんですか?」
「時々ね。タイマシやからね儂」
「タイマシ?」
「そう。タイマシ。鬼退治する人のことをそう呼ぶねん」
「結界について、もう少し聞いてもいいですか?」
「ええけど、でもなあ。今日は人が踏んでケチついたからパワーが足りん。せやから補充せなならなんだ」
「それは、どうするんですか?」「あんな、そこのコンビニでワンカップ買うてきて、銘柄はなんでもええ。それ備えたら、踏んだ分くらいは回復する」
「分かりました!」
なんだか、話を聞いているうちにちょっと楽しくなってきたので、私は言われるがままにコンビニエンス・ストアにワンカップ酒を買いに行ってしまった。今思うと、この時点で、もしかしたら魔方陣やら結界の魔力に当てられていたのかも知れない。
ワンカップを手渡すと、老人は一口、含んでからぶーっと描いた地面の円に向かって吹いた。
「あんたもやる?」勧められたが、私は断った。すると、残りを一気に飲み干し、ふうっと息を吐いてから「じゃあ、次の儀式に必要やからセブンスターを早う買うてきて」と言った。
「タバコの銘柄ですよね?」
「そうや。早く買ってきて、煙が魔を祓うし、鬼も煙草は嫌いやねん。だから、もうすぐに行って来て」
流石にこれは、パシられているのではないか……という気もしたが、またもや私は言われるがままにコンビニエンス・ストアに行き、セブンスターを買って来て手渡してしまった。
本当にあれは、老人の魔術の影響だったのかも知れないし、断ると面倒くさそうだしもうちょっと話聞いたらネタになりそうだしなという打算が理由だった可能性もあるが、当時の気持ちを忘れてしまったので、本当の理由は今となっては不明だ。
そして、煙草に老人は火を点けて美味しそうに煙を呑むと、今度は「牛すき弁当買うてきてんか」と言った。
私は「わかりました! すぐに買って来ますね!!」と答えて、そのまま家に帰った。
家に帰ると夫から「今日はいつもより遅かったね、何かあったの?」と聞かれたが、「別に」とだけ伝えた。

探偵ナイトスクープで取り上げられたことで有名になった、町のあちこちに貼られていたビニール紐や、町の中である日突然見かける変なシールや、絵。
もしかしたら、そういった物は何らかの呪術で、大阪の町を守っているのかも知れない。

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