すべては繋がっている〜身体・考え・心の一致〜 100人で巡礼した高野山と京都での体験から学んだこと
【すべては繋がっている〜身体・考え・心の一致〜
100人で巡礼した高野山と京都での体験から学んだこと】
先日、海外の方々と日本の若者たちと3泊4日で高野山、京都を巡礼してきました。
合計130名の大巡礼。こんなに多くの人数での巡礼は初めての体験です。
海外の方々のなかには、著名な経営者や政治家などもいらっしゃいました。
何をやったのかと言えば、高野山の寺院や弘法大師空海ゆかりの神社にみんなでお参りして、その感想を語り合うということだけ。
まさに対面でホトカミをやっているような感覚でした。
もちろん、なかには日本の文化に精通している方もいらっしゃいますが、
ほとんど知識がない方もたくさんいらっしゃいます。
しかし、皆さんそれぞれに何かを感じ、感動されていました。
思わず涙が流れるほど、心を動かされていた方も何人もいらっしゃいました。
9月に高野山に来た際、同じ感動を味わいました。
この巡礼に参加したメンバーのうち、直接的に神社寺院に携わる仕事をしているのは私だけ。
それ以来、3ヶ月間、こんなにも得難い貴重な経験をさせてもらったからこそ、
社会に還元したい、自分に何ができるのだろうか、と考える日々を送りました。
難しい政治や経済、世界や日本の未来について書かれた本など、たくさん読みました。
しかし、何も見つかりませんでした。
だからこそ今回の3泊4日の巡礼で、何か答えを見つけたいと思っていました。
同じグループになった人生の先輩方にも質問したり、議論させてもらいながら、
慣れない英語のなかでも、必死に考えを巡らせました。
どんどん思考が複雑に絡まり合っていくようでした。
ある夜、高野山で今も空海さんがいらっしゃる奥の院へ、お参りしました。
5時間後に起きて、早朝にもまた奥の院へ参拝しました。
偶然にも、空海さんへの朝食が運ばれる場面に遭遇しました。
お坊さんがどうぞと、お供えされるお堂にも案内いただき、法要にも参列させていただきました。
12月の朝6時の高野山。
おそらく、気温は氷点下。
そんななか、40分ほどの法要の後、
最後にお坊さんの話がありました。
「お参りするときは、自分のことに加えて、家族や友人、ご近所さん、そして、世界中の人々のことも祈ってね。
それが空海さんの1200年続く願いだよ。」ということでした。
当たり前のことかもしれませんが、自分のことだけではなく、
他者への思いやり、利他の心が大切であることを、あらためて実感しました。
だからこそ、自分がもっとできることはなんだろう?と睡眠不足ななか、考え続けました。
そんな私の目の前で、世界の人々も、日本の若者も、
高野山のお寺や神社にお参りして感じたことや、気付いたこと、その感動を語ってくださいます。
その様子を眺めていて、ふと気付きました。
「世界中の老若男女が、こんなにも感動できる神社やお寺、すごくない!?」
そして、その神社やお寺の魅力を伝えることが、ホトカミを通じてできていることの素晴らしさ。
難しく考えすぎた結果、日本的な資本主義の新しい金融システムを生み出さなければ、
仏教と科学の融合の先にある新しい体験とは?など、
よく分からないことまでも模索してしまっていました。
答えを遠くの外に求めてしまっていましたが、
実際は自分の中にありました。
横田南嶺老師の2020年10月11日のブログ「心が仏である」を引用します。
『春を探すという漢詩がございます。
春はどこにあるのか、探し求めて旅にでるのです。
あちらの村にないか、あの山の向こうにないかと、それこそわらじがすり切れるまで旅を重ねました。
しかし、どうにも春が見つかりません。
くたびれ果てて、我が家に帰ってみると、庭に梅の花が咲いていました。
その梅の花を見た時に、ああ春はここにあったと気がついたという意味の詩であります。
「春は枝頭に在って已に十分」という結句がよく知られています。
いきなり、春はここにありますと言われても、そうかなという感じで、ピンと来ないのでしょう。
やはり、春はどこにあるのか、探し求めた末に、ああここにあったと気がつくのです。』
世界中の老若男女が、言葉を超えて感動できる神社やお寺。そして、自分だけではなく、みんなのためにという利他の心。大いなる自然。
そんな素晴らしい神社お寺だからこそ、日本文化の中心にあるのだとも思いました。
難しく考えすぎず、目の前のユーザーの皆さんに、
神社お寺の素晴らしさや、日本文化の面白さを伝え、体験してもらえるように、もっともっと頑張っていこうと、あらためて思いました。
貴重な経験をさせていただいた皆様に本当に感謝しています!
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