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クライアントに教えてもらった真理

クライアントさんから座右を聞かせてもらえました。

他人の悪を能く見る者は、己が悪これを見ず。

足利尊氏の言葉らしいです。これ、知らなかったのですが…
でも、言われてみるとホントそうですよね。

他人の悪を見ているときほど自分の悪に気づかない。耳の痛い話であります。

あるある

例えば、誹謗中傷はやめようぜ、批判心が悪の根源だ、等々言われますが…そのセリフがそもそも批判心をベースになっていることがある、ということだと思います。(もちろん、批判心がベースになってないこともあると思います)自分の言葉の裏にあるものに気づかない。認知バイアスというのがこれだと思います。

その他人の悪を見た時に、どう処理するか?これは本当に考えると良いと思います。ホント日々修行です。

師が教えてくれたこと

さて、20歳ちょっと過ぎたぐらいのとき、僕はある出会いをしました。その方は見えないものが見える方でした。当時は今ほど感謝してなかったのですが、今から振り返ると人生や世界を教えてくださっていた方です。その方に教えてもらいました。

人を裁いてはいかん、と。それって人の悪を見るなってことだと今では思うのです。先生が教えてくれたことは、「悪を見たらどうしても悪だ、と認識しているから正したくなるのが人間だ」という意味なのかもしれません。正したくなる、ということはその前に、裁きがあるわけです。それは悪いことだ、そして、懲悪せねばならぬ、となるわけです。でも、「懲悪しなければならない」などという思いは傲慢なことだと。同じ立場の人間が考えることではない、ということだと思うのです。

先生も教えてくれました。
裁くのは人間ではない、神さまや、と。

この言葉も今から振り返ると単純な意味ではありませんが、話すと長くなるので割愛します。人の悪を見て、その人の悪を正すのではなく自分はその悪をしないようにしようとする。そういうベクトルへ自分のエネルギーは使った方が良いのかもしれません。

人によっては「じゃあ、悪を放置するのか?」というかもしれません。たしかにそれは悪なのかもしれないけど、その悪を正せるのはその人しかいないのです。だから、悪だと思うものを見たら「自分はそういうことはしない」と自分に言い聞かせる。そして、そういうことを教えてくれた存在として感謝することを意識しています。感謝する気が起こらねば口先だけで良いから「ありがとう」と小声でつぶやくようにしているとすっとそこから離れることができる気がします。

実際、ウェブでビジネスなんかやったら色んなことを言われます。僕のメーラーにも正直、あまり見たくないメールが少なからず飛び込んできたりします。でも、今では「あぁ、こういうことをいうとこういう気持ちになるよね」ということをこの人は教えてくれてるな、ありがとう、と少しは思えるようになりました。他人の悪を見ているときほど自分の悪に気づかない。他人が悪をするよりも自分が悪をするほうが困ることになるのだから、ここは注意したいものです。

追記

普段から積み重ねるこういうことの一つ一つが情報発信やセールスではにじみ出てしまうと感じているので普段から平和的に温和に生きることは心がけています。とは言え、怒ってしまうこともあるからその時は「あぁ、やってしまった」と思いながらも反省して仕切り直しです。

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