嫌なわけじゃない いやになった訳じゃありませんでした。 もちろん働いていれば、いい流れの時もあるし試練の時期もありました。 11年続けてきた、ご縁のある会社でした。 看護師は天職だと今でも思っています。 退職するタイミング 私の転職のきっかけは、ある利用者様の永眠でした。 私の就職とほぼ同じ時期に入居された利用者様で、毎日のかかわりの中で たくさんの学びをいただきました。 数年前から、本当に何となくですが、何となく。この方をお看取りしたら、 ここでの勤めを一区切りしよう
https://note.com/preview/ne58406aded4f?prev_access_key=d5cec7a34c612a4a2a5c2b01cfc795e1 以前、こんな記事を書きました。 そして、この度、母から譲り受けた総しぼりの浴衣をこわし、スカートと、 座布団カバーに仕立てました。 立体的なクシュっと感が好きで、夏のお祭りシーズンに何度か着ましたが、ここ数年出番なし。 虫食いはないか、カビは生えていないか、おそるおそる干しては安堵することが増えて
みなさんは、職種を何で判断しますか? 警察官・農業・漁業・料理人・医師・消防士・看護師… イメージするのは、その方の服であることが多いのではないでしょうか。 私は、看護師としてグループホームという施設で、認知症の方と日々関わっています。毎日介護士さんと同じ身なりで、エプロンを着用しています。 ですから、一見看護師だと気づく方はいません。 医療的な処置をしたり、医師とやりとりをするときだけ「あれ?看護師さんだったの?」と言われる始末…笑 決まった制服もなく、普段着です。
天気の穏やかな日でした。 職員の人員確保がどうにかなりそう! 今日が、いや今、まさに今がチャンス! 次のチャンスはいつやってくるか分かりません。 前から「外の空気が吸いたいなぁ」とおっしゃっていた方とともに、 車いすをひいて、久しぶりに散策をしました。 ちょうど今の時期の北海道は、あちこち「ふき」が群生しています。 歩いているだけでも、あのくせのある春の香りが漂います。 「や~、ふきがいっぱい。あれ、抜いてきて」 ふきを収穫する予定ではなかったので、長靴もはさみもありま
ふと感じた違和感。 この時期、季節の変わり目で高齢者の方々の衣替えが始まります。 体型が変わって、今までの洋服が合わなくなったり、ご家族が持参しておらず、適切な洋服がありませんでした。 「退去した人の置きみやげあるよー」 記名を黒マジックで消して、着せる。 着た本人も、まんざらではない。 そのまま私物になっていく・・・・ 意外とあるある施設話。 洋服がもったいないし、よい使い道なのではないか? 本人が気に入っている、もしくは分からないんだし、いいのではないか? 確かに
口腔体操の目的口腔体操、もしくは食前体操。皆さんの施設では、食前に行う体操のことを、なんと呼んでいますか? 呼び方は様々ですが、目的はひとつ。食事時の誤嚥予防です。 食事の前に口の中が、だ液いっぱいで、潤っていること。 舌がよく動くようになっていること。 そんなことを意識しながら、利用者様と口の体操をおこなっています。 『おまけ言葉』をたいせつに口腔体操は、日常の会話とは別の目的があるので、形式ばった体操になりがちです。 でも、ちょぴりスパイスを効かせながら、笑いも取り
認知症の利用者様が入居されるときや、症状が悪化したタイミングで、いわゆる「延命」についてお話をさせて頂くことがあります。 そして、たいていの方は、「延命は希望しません。でも、痛みや苦しみは取ってあげてほしいです。」とおっしゃいます。当然のことだと思います。 では、「延命」ってなんでしょう? 呼吸器装着・経管栄養・高カロリー輸液・心臓マッサージ。この類のことでしょうか。 ところが高齢の方に対してのこの処置は、積極的に行わない医療機関も増えています。 では、これはど
先日ことわざのお話をしていたときのことでした。 『老いては子に従え』そんな誰もが知っている、ことわざ。 「子に従えますか?」 なんて笑い話のようにやりとりをしていたときのことでした。 ある女性の方からの返事でした。 「老いても子に従えない!!そんなに簡単に従えるわけない!」 との返事に、みんなで爆笑。 ほんと、そうよね、とのあいづち。 またほかの方が、 「老いたら子に従えざるおえない!!おやつだって当たらないぞ!」 なんてお話をされるので、ますます盛り上がりました。
自分につけられる肩書き 自分につけられる、肩書きについてです。 お母さん、おばさん、娘、看護師、黄色い服を着ている人、髪の長い人…などなど。 他人から見たら、自分につけられる肩書きは、限りなくあります。 …ところで、肩書きがついた自分は、それぞれに合わせた『別の人』になってしまうのでしょうか? 私自身、肩書きが好きではありません。自分一人で過ごす時間が大好きで、「ただの自分」でいられるときを非常に大切にしています。 大げさに言うならば、親からもらった名前ですら、いらな
認知症の人の世界 『認知症』と聞くと、まずどんなことをイメージしますか? もう何もわからなくなる。もう人生は終わり。苦しむのは、本人じゃなく、 家族だ。そんなことを考える人もいるかもしれませんね。 そう思うことを決して否定する訳ではありません。 長年「痴呆」「呆け」などと呼ばれていた時代には、認知症の人を 拘束したり、小さな物置きに閉じ込めたりすることもありました。 私が看護学生だった頃の教科書には、当然のごとく「痴呆」と書かれていて、私が療養病棟で勤務をしていたころ
お正月も過ぎ、新しい一年がはじまりましたね。 お正月の帰宅 お正月になると、「お正月の宿泊や外出は、どうされますか?」 そんなやりとりは、どこの介護施設でも、交わされていたのではないでしょうか。 お正月に認知症の方を受け入れるご家族は、残念ながら多くはありません。それでも一部、自宅に戻ったか方も。 ここでエピソードをおひとつ 自宅に戻ったとはいえ、そこには親族20人が集まる大宴会。何年か振りに会う親族のことは、うまく思い出せないし、耳が遠くて声もよく聞こえな
尊厳を辞書で引くと尊厳っていったい何でしょう? 辞書で引くと、尊く、厳かなこと。との記載。 非常にあいまいで、抽象的ですね。 でも、尊厳って、本来抽象的なのかもしれません。 個々に違い、正解がないのですから。 人間らしい生活人間が人間らしく扱ってもらえない時、尊厳を侵害されている、 尊厳が冒されている、などと表現されます。 最低限の生活の保障が日本国憲法にも掲げられていますね。 「健康で文化的な生活」この点も掘り下げる必要がありそうです。 その人がその人らしくあるた
ようやく読破しました。林真理子さんの、小説8050。 以前から気になっていた小説でしたが、その頃は、まだ遠い世界のこと。 80代の親と、50代の引きこもりの子どもが共依存する、8050問題です。 それこそ小説の世界だと思っていた現状が、知らなかっただけ。ということが偶然たび重なりました。 実はご近所にも似た状態で困っている家庭があったり、兄が引きこもってるの、と打ち明けてくれた友人がいたり。 フィクションなんかじゃない。圧倒的なリアリティーで、ごく日常の隣に潜む、当事
年賀状の時期 そろそろ年賀状の期日がせまり、慌てている方もいるのでは? 私は、5年前に年賀状を書くことから卒業しました。 以前は、80枚の年賀状を毎年書いていました。 一年間の家族の写真を選び出し、自宅のプリンターで夜な夜な作業。 作業…と言っている時点で、すでに良くないですね。 書いている時は、一年に一度くらい、相手を思い出しながら一筆書こう、と気持ちを向けながら書いていました。 もちろんお正月に届く年賀状も楽しみではありました。 成長する友人の子供たちの笑顔。近況報
やりたいなぁ、と思っていることを、実際「やる」に移行するとき、 自分自身でできることならば、それは自分次第。 今回は、ほんの少しのきっかけと道具で、ご本人のやりたい希望を叶えることができました。 ほんのささいなことなのです。 元来、写経を趣味としている方でした。 家族への手紙も書いていましたが、おっくうになってきたお年ごろ。 98歳です。 「頭がぼわっとしてくるから、何か書かせてほしいのだけど。」 つかさず用意したノートと鉛筆でしたが、肝心の文字が読
「置いてきた着物が気になるの。」 何度となく聞く、入居者様の言葉です。 嫁入りに持たせてもらった大切な着物。 若い頃は忙しくて、ハレの日にも着れず、しつけのついたままの着物。 施設に入った今も、桐のたんすに入っている着物の行方が気になるのです。 それは残念ですが、たいていご家族がすでに処分してしまっていることも、よく聞く話。 そうなる前に、世に送り出してあげませんか?タンスの中の着物たち。 練習用の小紋の着物をカットして、20枚のふくさをつくりました。 模様