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ウガンダのラスト侍・柏田雄一さん

2025年がスタートし、昨夜は北九州市に大寒波が押し寄せてきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?


今年は未だセーターを着ていなかったですが、流石に最高気温が6℃となると、自然と着たくなりますね!!


初めて妻と行橋市のゆめタウンに行った際に、気になるこだわり素材のセーターに出会い即購入してしまいました!!(運良く今日から半額セール)

素材
①左商品 綿95%  カシミヤ5%
②右商品 毛50%  ナイロン50%
③ベルト 牛革

ヤマトインターナショナル株式会社が製造した服



「製造元を確認した際に、あれ、、、ヤマトインターナショナル株式会社?どこかで聞いたことがあるような、、、。」

「・・・。」


「もしかしたら、私がウガンダ青年海外協力隊時代にお世話になった柏田雄一さんが現地社長をされていた会社じゃないか!?」


帰って早速ググって見たら、やっぱりビンゴでした!!

私が23歳から25歳の2年間でウガンダで滞在した際に、右も左も分からない若造にお忙しい中、よく時間を作ってご飯に連れて行っていただきました。


40歳にして柏田さんのご経歴を見ると、いかに凄いことを現地でされていたのか、私財を投げ打ってまでウガンダのために奮闘されていたのかが、大変恥ずかしながら今なら少し理解できる気がします。


日本人全員に柏田雄一さんの物語を知っていただきたいので、これから数回に渡って、シリーズでお伝えさせていただきます。

柏田雄一氏プロフィール

大阪府出身、1931年生まれ。1958年に大学を卒業し、ヤマトシャツ株式会社(現・ヤマトインターナショナル株式会社)に入社。1965年に工場長としてウガンダに渡り、ユナイテッド・ガーメント・インダストリー・リミテッド(略称・ユージルUGIL)を立ち上げる。戦乱の中でもアフリカに留まって事業を続けるも、1984年に当時の政府に追われてやむなく日本に帰国。ウガンダでの功績が認められ、1990年にヤマトインターナショナルの副社長に就任。その後、現ウガンダ大統領からの度重なる懇願を受け、同社を退社し、1999年にウガンダへ戻る。私財を投じて現在のフェニックス・ロジスティクスを立ち上げ、現在に至る。2009年に旭日小綬章を受章。


柏田雄一氏を特集したインタビュー動画

日本に戻られる前に撮影した柏田さんの写真です。現代ではあまり良い意味で使われなくなった「躾」という言葉、柏田さんが1960年代にウガンダで工場を始めた際に、会社に勤めるのも製造に携わるのも初めてだったウガンダ人の社員教育において、マナー、躾というのを念頭に社内教育をされたと言うことでした。

引用 上記Webページより

真の躾教育とは何か


以前ご紹介させていただいた小田島裕一さんや私も柏田雄一さんの利他の精神や躾教育の実践を励みに、野球部指導をさせていただきました。

https://note.com/samurai_teacher/n/n2f7158fcd17a%0A


私も隊員時代に、野球部の選手を連れて3回ほど工場見学と志講話をお願いさせていただき、快く引き受けていただきました。


私が13-16歳くらいのウガンダ選手たちに伝えたかったのは、


「普段、野球部活動で行っている、時を守り・場を清め・礼を正す習慣がなぜ大切なのか?」


柏田さんは、自分の会社経営を通して、青年にも響く言葉で語って下さいました。


何より選手たち以上に、私自身のライフレッスンになっていたのかもしれません。


続く




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