うーん、休みなのにいまいち調子が出ない。やりたいことリストでも書こうかな。 天気のせいかな。焦るな自分!
二女は22歳で産んだ。 長女とは4歳違い。 母乳は余り出なくて、 早々にミルクに切り替えた。 その方がどれだけ飲んでいるか 明確に見えて良いと思った。 夜泣きはしないが後追いが酷く 良くおんぶして家事をした。 かきくけこが上手く発音出来ず キリンさんがチリンさん ケーキがチェーチになって 可愛かった。 雨音をポツポツ、ではなく ツポツポと表現した。 子どもは自由だと思った。 動物が好きで 当時元夫が飼育していた 陸亀や熱帯魚やハムスターを いつまでもじっと見ていた。 手
数年ぶりに風邪をひいた。 今日は一日中食べては寝てを繰り返した。 睡眠の効果は偉大だ。 気温が下がって寝やすかったのもあるかな? 急に筑前煮が食べたくなり 作った。薄味だけど満足の出来。良い休日。
先月投稿してから 一か月があっという間だった… 余りの暑さに 最低限のことしか出来ない。 寒がりでかつ暑がりな私… 定期的に 書けるようになりたい。 でも、無理せず 自分のペースで書こう。 母と娘、二人のことが 自分の肩に乗っかっている気がして ゆったり休むことが 出来ない。 母の状況はさほど変わらない。 短期記憶が弱まり 意欲気力も低下している。 それに加えてこの暑さ。 エアコンを24時間稼働させることに抵抗があるので 止めないでね、28度にしてね、 と毎晩必ず言っ
暑さに負けて 書けなかったこの数週間。 季節の変わり目が苦手だ。 暑いのも寒いのも嫌いだ。 でもまだ暑い方がましかも? 暑いときには エアコンや冷蔵庫が壊れる。 母がほとんどの時間を過ごす 居間のエアコンが壊れた。 生暖かい風しか出ないのに 母は温度を下げ、風量を増す。 壊れたことには気づかない。 『おかしいわねぇ』と繰り返す。 やっとのことで引き出しの奥から見つけた取説を開いたら、 ランプが点滅を始めた。 製造後10年で部品は無くなります。 と書いてあり、 本体の製
大好きな忌野清志郎の歌 いい事ばかりはありゃしない 大好きとか偉そうに言ってるけど 忌野清志郎が癌に倒れるまで 代表的な曲しか知らなかった。 きちんと聴くようになったのは 最近だ。 金が欲しく働いて、 眠るだけ。 すごい歌詞だと思う。 ほんとそれ、 泣きながら笑えるような そんな気持ちになる。 でも金があったら それで幸せかと言うと そうでもない事も一応知ってる。 つもり。笑 才能も 知識も 資格も 美貌も 伴侶も なーんも持たない私だが りっぱな屋根がある家
祖母は早くに夫を亡くし 女手一つで 母と叔父を育てた。 祖父の遺産か、祖母の実家の遺産か 詳しくは分からないが まとまったお金があった祖母は 株を買ったり、人にお金を貸して損をしたりだったらしい。 このままでは不味いと 母は祖母を説得して 土地を購入した。 母が二十歳、今から 約六十年前になる。 お互いに高卒で就職した職場で知り合った両親は結婚し 母は専業主婦になり、私たち姉弟を産んだ。 弟が生まれるまでは祖母と同居し、家族が増え手狭になったので 父は祖母と母の住む
母は戦争中に中国で生まれた。 母の父、私の祖父はパイロットだったそうだ。 中国では裕福な生活をしていたらしい。 現地のお手伝いさんを雇い、 周りを塀で囲まれた敷地内に この字型に建てられた住居に 三組の日本人家族が住み 賑やかに暮らしていたんだそうだ。 お手伝いさんからは 本番の水餃子を教わり それは未だに我が家の定番メニューだ。 ニラと白菜を大量に刻んで サラシに包んで思い切り絞る。 (これが一番大変) それと同量の豚挽肉と混ぜる。 味付けはにんにく、生姜、味噌、 醤
波乱の幕開けだったが リフォームは予定通り進んだ。 リフォームについては 何度も説明し、 紙に書いて目に付くところに 置くようにした。 それでも記憶に定着せず 聞いていないと怒る母。 周りに、自分は望んでいないのに 勝手にリフォームをされていると 言いふらすようになった。 正月は家族集まって 我が家の定番料理を作り食べたが、 姉が帰宅した日に 『お正月は終わったの?』と言い出した。 自分が何を作ったかも、 孫にお年玉を渡したことも すっかり記憶から抜け落ちていた。
誰にも読まれることなど無いと考えていたのに、読んでくださる人がいてスキも貰えてなんだか驚いている… ありがたい。
昨年夏に母からオッケーが出たので 気が変わらぬ内にと 同居に向けて動き出した。 不用品の片付け、掃除だ。 二女が手伝ってくれて 助かった。 二階にあった母の衣類を 下に運んだ。 わざわざ取りに上がらなくて済むように片付けた。 祖母からの着物などが 少しばかりあるが、 それらも一箇所にまとめることが できた。 普段着のタンスと 着物用のタンス、二つが空になった。 やれやれ、と思っていたら 母から突っ込みが入る。 あの着物は何処へやった? 下の和ダンスにまとめたよ。 嘘
今日は夏用のラグを買いに行き、そのまま市内ドライブをして、自治体の博物館を見学、最後は蕎麦屋。 文句なしのレクリエーションだよね?
3年半ほど前に父が死んだ。 末期の胃癌だった。 一年半の闘病の末に、 自宅で看取ることができた。 父亡き後最初の一年は 片付けやらであっという間に過ぎた。 2年目辺りから母に対して あれ?と思う事例が増えた。 映画を観ても内容を覚えていなかったり、観たこと自体を忘れていたり。 そのうち、やたらに批判的な感想を 述べるようになる。 音楽を聴いてもケチをつける。 昔のものは良かったとか、 最近の若い人はとか、 以前はそんな風には余り言わない人だったのにと感じた。 これが
なんとなく、ざわざわ。 何かした方がいいな。
私は50代で80代の母と30代の娘と 同居している。 母は父が亡くなってから じわじわと認知症が進んでいる。 と思われる。 まだ確定診断は受けていない。 私が子どもの頃に 通っていた内科が今も母の かかりつけ医だ。 もちろん代替わりしているが。 訳一年前、物忘れを気にした母が そこで相談したところ テストをした。 30点満点の23点、うーん、 20点無いと認知症ってことになるからね、まあ、あの、予防的な意味も含めてね、お薬飲みますか! 効くか効かないか、まあ、あんま
さてなにから書いたら良いのやら。 私は50代で 二人の娘がいて 30代で離婚して 今は認知症(確定診断はまだ)で 要支援1の80代の母と暮らしてる。 二人の娘は30代 長女は結婚して子どもを授かった。 二女は結婚したが四年で離婚し、 今は私と私の母と一緒に居る。 私は18歳で中学校の同級生と いわゆるデキ婚をした。 両親は交際時から反対していたが 私はその男を愛していると強く思っていた。 反対されればされる程、固執した。 高校生活は酷いもので 何の目標も持たずに ただ