神様がくれたセカンドチャンス
古代ギリシャの数学者アルキメデスは、浴槽に浸かっていたときに金の純度の測定法を発見した。そのようなひらめきの瞬間のことを"Eureka moment"(ユウレカ・モーメント)と呼ぶらしい。
そんな言葉があるように、みんなそれぞれひらめく場所やタイミングがあると思う。
僕にとってのひらめきの瞬間というのはいつも決まって「朝目覚めた瞬間」だ。
目覚めた瞬間に何かの解決法が降りてきたり、昔の懐かしい思い出が急に蘇ってきたりすることがよくある。
常に何かを考えている僕の頭が唯一休めるのがきっと就寝時で、まるで長い瞑想から覚めた後のように、綺麗に片づけられたデスクのように、目覚めた後はスッキリしている。
起床後一番の思考は僕に何かのヒントやアイディアをくれたり、昔の思い出に入り浸ったりできる貴重な時間だ。
都内への出張中のある朝、20年以上前の記憶が鮮明に浮かび上がってきた。
それは僕が小学生1年生の時の思い出。
その思い出は僕にとって良いものではなく、とても苦く悔やましいものだった。
1年2組の同じクラスにMちゃんという女の子がいた。
よく体育の授業を休んだりする身体の弱い子だった。
その日は何らかの理由でたまたま担任の先生が遅れていて、朝礼は生徒のみで行われていた。大人のいない子供だけの空間。子供の本能が試される時間にその事件は起きた。
突然クラス後方から叫び声が聞こえた。
何事だ!?と振り返る。
Mちゃんが嘔吐したのだ。
嘔吐物は彼女の筆箱、机、床までこぼれ落ちていた。
と同時にクラスメイトの誰かが「くせ〜!!」「おえ〜!!」と言い、廊下に出て行き窓を開けて新鮮な空気を吸っていた。それにつられクラスの半分以上の子が廊下に出ていった。
しかし中にはすぐに彼女の元に駆けつけ「大丈夫?」と声をかけたり、無言で掃除する子もいた。
特に印象的だったのが、自分の綺麗なハンカチを使ってその子の嘔吐物を掃除していた子。その子の対応が今でも強烈に印象に残り、忘れられない。
このような白黒分かれる対応の中で、僕は前者、つまり新鮮な空気を吸いに廊下に出て行った生徒たちの中にいた。
なぜあの時にやさしい言葉をかけてあげられなかったのだろう?
なぜ自分のハンカチを差し出せるような広い心がなかったのだろうか?
彼女にやさしくしてあげられなかったことよりも、周りの目が気になって、やるべきことをわかっていたのにできなかったことを悔やんだ。
「そんなこともあったな…」と、どうすることもできない過去を思い出しながら満員電車に揺られ渋谷のスタジオに向かった。
スタジオでの作業は山積みで、いつの間にか時は終電に迫っていた。
作業を切り上げ、小走りで駅へと向かう。
「よかった。間に合った。」
そう思いながら滞在先の駅の改札に一番近い、一号車のドア側の席に座った。
でも座った瞬間何かの違和感を覚えた…
ふと向かいの席の足元を見ると嘔吐物が散乱していた。
徐々に目を上げていくとそれは座席、その人の膝から上着まで全部に飛び散っていた。20代前半くらいの女の子だった。
僕は匂いに鈍感なので全然気付かなかったけど、席が空いていたのはその理由だったのか…
しばらくして駅員さんがやってきた。
駅員「困るよ本当に。飲み過ぎ?勘弁してよ。これ器物破損になるからね。」
女の子「すいません。ごめんなさい。」
駅員「これ乗車拒否になるから。」
女の子「本当にごめんなさい。」
ぴえん顔でずっと謝っている。
駅員「もう謝るのはいいから。はいこれで自分で拭いて。あーもうティッシュも切れちゃったよ。他のお客さんにだけは絶対近づかないでね。」
そう言いながら他の駅員さんにも応援を呼んで嘔吐物の緊急清掃をした。
駅員「今回は乗車拒否にはしないけど、もう絶対やめてね。」
女の子「本当に申し訳ありません。ごめんなさい。」
電車は発車時刻を5分ほど遅れて出発した。
誰かが彼女に小さな水のペットボトルを差し出す。
女の子「すいません。ありがとうございます。」
そこで心の声がした。
「今だ!行け!!」
周りの視線は気になったけど、僕は勇気を振り絞って自分が持っていたポケットティッシュをそっと彼女に手渡した。
女の子「すいません。ありがとうございます。」
マスク越しに小さく微笑んで会釈した。
その日の朝に蘇ってきたあの記憶がなければ僕は違う車両に逃げていたかもしれない。
でもあの日の過ちを後悔して、きっと次にそういう機会があったらどう行動するべきか自分の中で具体化されていたのだと思う。
まさか同じ日にそれが起こるとは思ってもいなかったけど…
こんなにもはっきりとこれから起きることの予兆が現れたのは初めてだった。
まさに神様が僕にくれたセカンドチャンス。
このドラマのような展開に僕は「そんなことある?」と笑うことしかなかった…
困っている人がいても見て見ぬふりをすれば何にも問題ない。
逃げれば面倒なことに巻き込まれないし、楽なはず。
でも僕はもう二度とこのことで後悔はしたくない。
やるべきことをやる小さな勇気を
いつも持ち歩こう。
そう思えるようになれた体験だった。
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