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ゆとりある会話を楽しめない人

コミュニケーションにおいて他者への尊重を欠いた自分本位な人が嫌いだ。会話中、無自覚にも自分のことだけを考え、関心のある話題や自分が話せる内容の時のみ、生き生きと話題を奪い取るような人。

食卓で母が軽井沢の蛍の話をしだしたとき、軽井沢ってキーワードを聞いた瞬間に、父は「夏休みの軽井沢いついく?」と話の流れと関係がない、自分が関心ある話に持っていこうとした。彼らは相手の話題を平気で横取りして、罪悪感を抱かない。機能的な情報を好みがちで、日々感じた情緒的な気づきや、人生の余白を彩るような、ゆとりある会話ができない。

彼らの話は大体仕事の話にしか着地しない。そして過去仕事の話をし出した瞬間、目の前の聞き手は本人にとって不在となる。世界は本人だけになり、自己完結したストーリーを機械的に話すだけの時間が流れる。世界の外側にいる聞き手にとって、それはもう「情報」じゃない。お皿洗いの背後で流れるテレビ音であり、電車内で誰も見てなくとも流れる車内広告と同じ。

これは共感性の問題なのはもちろん、聞き手に対する集中力、敬意の欠如によるもの。自分が話したい話をしたいだけで、対象は誰でもいいのだ。会話とは相手の時間を、すなわち人生の一部を奪う行為であり、相互尊重が不可欠。だからこそ、その情けなく無礼な振る舞いに嫌気が差すのだろう。

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