自分の輪郭を知る安心感
自分自身の魅力の大きさは、環境や時期、心身の状態、他者との関係性によって左右されるもの。魅力には輪郭があり、目に見えない。他者からは本来の大きさより大きく見えるときもあるし、自分の目では小さく見えたりもする。輪郭を見誤ると天狗になる。身分不相応な振る舞いや発言をし、差分だけ何らかのしっぺ返しを食う。輪郭が不確かだと不安にもなる。必要以上に自分を卑下し、掴めるチャンスを失うこともある。
つまり自身の実像を正確に測るには限界があるのだ。確かめるには、自分より“大きい”か“違う”他者と触れ合うほかない。
最近ワンピースを最新まで読み返した(ビッグマム編)。ルフィが強敵と対峙したとき、本来なら逃げるべき状況にもかかわらず「正面から闘わねえと気がすまねえ」と言って限界まで闘っていた。ドラゴンボールの孫悟空もそうだった。セルだか魔人ブウだったか、当初の目的は達成された後にもかかわらず「もっと強えやつと闘ってみてえ」と戦闘に没入する。
要は一定の“強さ”を持つにつれ、その強さで利他的な目的を果たす以上に、利己的な自己実現を図る優先度が高まるのだ。自分より“強い”相手との闘いを通して、勝利以上に、自分の実像を掴む満足感に走ることがある。
思えば自分もそうだった。小学生の頃、算数の先生が用意していた「難問プリント」なるものが好きだった。普通のテストを早く解き終わった希望者には、中学レベルの問題が記されたプリントが配られた。別に解いても追加点があるわけでもなく、なんなら全て解くには難しかった。しかしどこまで解けるのかという挑戦心に駆られたし、自分のレベルが明確になって心地よかった記憶がある。
魅力には大きさだけでなく、色がある。そして他者との関わりを以て彩度や明度が相対的に明らかになる。優しさという面で切り取っても、誰かと触れ合う中で自分自身の最低/最高/平均の水準が判明していく。色に優劣はない。ただ色味の違いは存在するため、把握する必要がある。
自分の実像、魅力の輪郭を知ることは心の安定に繋がる。もちろん揺らぎはあれど、一定の大きさと性質を把握するだけで、自分は何者かという問いに着地点を作れる。また他者の輪郭を完全理解することは難しいが、親しくなればなるほど、少しずつ凹凸は見えてくる気がする。その際に自分の形がわかっていれば相互理解の一助にはなるだろう。
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