127夜 Red / King Crimson
レーベルからツアーの日程が発表され、日本公演のロイヤルパッケージ(開演前に入場してサービスが受けられる)の販売が始まりました。
ジェネシスではありませんが、年齢的にも、おそらく最後のツアーになるでしょう。
行くのか、どうするのか迷いはしたものの、結論は、見送って家で昔のCDを聴くことにしました。
中学生の頃、初めて「クリムゾンキングの宮殿」を聴いた音楽体験は強烈でした。
それ以来、このバンドは自分の中で神格化されてしまい、フラットに聴けていなかったということは否めません。
自分の人生ベスト・アルバム100を選ぶとしたら、彼らの初期のアルバムは全部選んでしまいそうなほどです。
商魂たくましいフィリップ翁は、過去音源を使って、いろいろな商品を出します。しかし、信者としては手に入れないわけにいきません。お金はかかりますが、それが救いの道なのです。
ただ、数多く出された編集盤やライブ盤が、70年代の感動を超えることはありませんでした。
何度か足を運んだライブでは、その演奏に圧倒されながら、居心地の悪さを感じていました。
観客の方々は、感動を噛み締めるような抑制の効いた楽しみ方をされていましたので、会場の雰囲気が悪いということではありません。
ただ、自分にとってのキング・クリムゾンは、もっとプライベートなもので、多くの人と感動を共有するというのは違ったのかもしれません。
(嫁や子供にも聴かせたことはありません。)
70年代の音楽に傾倒しすぎたせいか、80年代の音楽的な変化を受け入れられなかった時期もありました。
しかし最近は、また彼らを支持できるようになってきました。
かつての洗脳が解け、客観的に評価できるようになったという感じでしょうか。当時、受け入れられなかった曲も、今聴くと悪くないと思えるようにまでなりました。
80年代以降は、エイドリアン・ブリューやトニー・レヴィン等の起用で、音楽的な幅やテクニックは進歩したかもしれません。
実際、90年代以降は素晴らしい作品を作り上げていて、中でも「The Power To Believe」は傑作です。
ただ、私にとってのキング・クリムゾンは、70年代の衝撃が大きすぎたのです。
自分が年老いても、初恋の人は記憶の中で永遠に美しくあり続けるように(時には記憶は補強されたりもしますし)、あの頃の曲は今でも強く感情に訴えてくるのです。
人生の残り時間を意識するようになった最近では、かつて繰り返し聴いたスタジオ・アルバムを、そのままの曲順で聴くのが一番深い充実感を得られるようになっています。
(サブスク世代は、どうなるのかなぁ・・・。)
と、本題に触れないままダラダラ書いてしまいましたが、今夜聴いているのは1974年に発売された「Red」です。
コア・メンバーは、ロバート・フィリップと、ジョン・ウェットンと、ビル・ブルフォード。
ロック・ミュージックの進化は一方向では無く、ウニの棘のように様々なベクトルを持つものだと思うのですが、このアルバムがロックという表現の到達した頂点のひとつであることは間違いないでしょう。
完璧です。