アメリカにおける第一波フェミニズム
こんにちは、2回目の投稿でフェミニズムについて語ります。もしかしたら、もうこのnoteの方向性が分かってしまったのではないでしょうか。
なぜフェミニズムについて書くか
ここ重要です。一番言いたいところ。なんなら本文読まずにここだけ読んでくれてページ閉じてくれてもいいよ。画面の前の方々。
一言で言うと、現代では、「フェミニズム」という言葉がネガティブさを含蓄していると感じるから。です。
なぜかというと、ネットとかを見ていると、フェミニズム(フェミニスト)は「フェミ」と省略され、たたかれていることがとても多いと感じます。(自分が見ている限り)
いや、そうじゃないだろと、フェミニズムというのは、昔から女性たちが権利を求めるために戦ってきた証であるのだろと。それを学び、受容する姿勢ことが我々現代人に求められていることなのではないかと思います。
トランプがアメリカの大統領になり、フェミニズムを取り巻く環境がどのような変化を迎えていくかは定かではないですが、ぜひ今を生きる人に知ってほしい!!!それを伝えたくて書いています。
そのため、このnoteでは第一波フェミニズムがアメリカにおいてどのように成り立ってきたのかを話していければと考えています。
もちろん、アメリカ以外にもフェミニズムの歴史はあります。自分がアメリカに滞在していて、少しだけ勉強していたためここではアメリカに焦点を当てています。書き方としては、箇条書きです!なるべく流れが分かりやすいよう、最低限の情報で書いています。では!
第一波フェミニズム
特徴
時代背景:19世紀半ば~1920年
主な目標:女性参政権(選挙権)の獲得、財産権の確立、教育・職業の機会拡大、法律上の平等
→公的な権利を求める活動が多かった。
運動の中心:主に白人中産階級の女性が主導
主な出来事
・セネカフォールズ会議(1848年):アメリカで最初の女性の権利を訴える会議
エリザベス・キャディ・スタントンとルクレシア・モットが主導
→「宣言(Declaration of Sentiments)」を発表し、男女平等を訴える
・憲法修正14条(1868):南北戦争後の再建時代、参政権についての憲法が修正。しかし、黒人男性の参政権だけが認められ、女性はまだであった。(唯一、1869年にワイオミ、1870年にユタで女性の参政権が認められた。)
1890年にエリザベス・ケイディ・スタントンとスーザンBアンソニーが設立した全国女性参政権協会と、ルーシー・ストーン・とヘンリー・ウォード・ブラックウェツが作ったアメリカ女性参政権協会という2つの団体が合併して、全国アメリカ女性参政権協会(NAWSA)が設立
成果
1920年:女性参政権の実現
アメリカ合衆国憲法修正第19条(Nineteenth Amendment)が成立し、女性が正式に選挙権を獲得
私的な部分の変革
・シャーロットパーキンズギルマンは女性の生活の中心が家庭であることを批判
・産児制限を唱える女性が増加
マーガレットサンガーは望まない妊娠を避け、子供をいつ生むか女性自身が決める権利の重要性を説いた。
→アメリカ産児制限連盟(1921)を設立
・フラッパー(新しい女性)
ヴィクトリア時代的な道徳観(勤勉、 禁欲 、 節制 、貞淑などを特徴とする 価値観 や 道徳 のこと。 19世紀 に成長著しかった 中流階級 の 理想 を反映し、 ピューリタニズム が強く表れている。)から解放され、自由を謳歌する女性をフラッパーと呼んだ。
化粧をして、肌を露出、ジャズに合わせて踊った。化粧は舞台女優や売春婦というイメージがあったが、自己表現の手段として用いられた。
・デート文化の反映。
男性が女性宅に訪れてお茶を飲みながら歓談というスタイルから、映画館やダンスホールなど商業的娯楽施設へと移動
批判
人種や階級の格差:黒人女性や労働者階級の女性は十分に運動に参加できなかった
政治的権利のみに焦点:教育・職場・家庭におけるジェンダー平等はまだ達成されていなかった。
男性中心社会の構造は変わらず:法律上の権利が得られても、社会的な性別役割は根強かった。
まとめ
第一波フェミニズム(19世紀半ば~1920年)は女性参政権の獲得を中心に展開され、1920年に憲法修正第19条が成立。産児制限の推進やフラッパー文化も登場。主に白人中産階級が主導し、人種・階級の格差が課題として残った。
以上が、第一波フェミニズムの流れです。第2波以降も書いていこうと思います!ここまで読んでいただきありがとうございました!