シ ゴ デ キ!
大学の研究室の頃から約20年、「あの人は仕事できる」の意味をずっと考えている。
なぜかというと、カッコよかったから。
誰もがその人に信頼をおき、頼り、尊敬し、何より本人が楽しそう。
目標に向かってブルドーザーのように進んでいく姿への憧れは、もはや愛の領域だ。
いいな!いいな!
私もそれ欲しい!楽しそう!やってみたい!
そう、私は人のものを欲しがるミーハーだ。(The 開き直り)
極端に仕事のできない人にフォーカスした話がドラマ化されているらしい。徹底して仕事のできない人物像を描くには、仕事ができるの定義をかなり突き詰めただろうと想像する。
仕事ができるって、そもそもなんだろう?これまでに溜め込んだ私なりの定義を書き出して見ようと思う。
「レンガを積んでいる」のではなく「人々を幸せにしている」と思っている
有名な寓話がある。
とある教会建設現場の3人の職工に旅人が聞いた。「あなたは何を作っているのか?」彼らは答えた。
職工1「見ての通り、レンガを積まされてるんですよ。おかげで手はボロボロだ」
職工2「壁を作ってるんですよ。私は壁を作れるおかげで家族を食べさせることができる」
職工3「この国の人々を幸せにする仕事をしているんです」
人間は社会的動物で、組織で仕事をする。自分のゴールを組織のゴールの中に見出せるか?組織と価値観を共有できるかどうか?によって、ご機嫌に仕事をできるかどうかが大きく違ってくる。
組織で働く意味を理解している
何人も一緒に働いていると自分を嫌いな人の一人や二人いる。板挟み、マウント、阻害。ストレスを感じる人間関係に対し、「組織の中ではよくあること」と解釈し処理できるドライさと技術を持っている。必要以上に人間関係に翻弄されず、ご機嫌に仕事ができる。
今の仕事の次を理解しているので、時間への意識も、仕事の完成度に対する意識も高い。
自分なりのやりかたを持っている
仕事が個人に依存すると、多様性に欠き、世代交代や変化に弱い継続性の低い組織になってしまう。他の誰かでも同じ仕事ができることは大切だ。しかし、だからといって自分の仕事が誰にやらせても同じレベルのものにしておくつもりがない。ゴールは同じでも自分なりのアプローチで確実に達成することで、「あの人がやったから」と言われる成果を残す。
他の人の仕事の意味と苦労を知っている
もちろん、自分の仕事のみならず他の人の仕事の苦労も理解している。他の人が成果を出すことにも意欲的だ。想像力があるので他人の仕事の苦労と意味を軽んじることがない。
その仕事が好きである
好きとは「興味が尽きず、探究したいという欲求がある」状態だと、八木甚平さんが言っていた。ある程度納得いく。
できる人は、仕事でこれから何が起きるか、何を試そうかとドキドキワクワクしている。さらに、その仕事が好きだから、必要であれば雑用でも難なく片付ける。周りには感謝され、さらにご機嫌度が上がる。
興味が深いので調べたり勉強することを苦と感じない。
競争に怯まない
いくらご機嫌であろうと、競争は存在する。恐ろしいことに今の世の中何もかもが競争になっていて気が滅入ることがある。しかし仕事のできる人は怯まずに立ち向かう準備ができている。
休息する
競争の中にいると心底疲れてしまうことがある。脱落する恐怖に押しつぶされてしまうこともあるだろう。しかし競争より大切なものが人生にあることを理解しており必要な時にはきちんと休息をとる。
虫・鳥・魚の視点を持っている
仕事の全体像を把握していることももちろん、細かいところに気がつく抜け目のなさもシゴデキには重要だ。細かいけれど大事なところを拾ってくれる人は後になってから大きな絵を完成させるのに欠かせない存在となっていく。また仕事の意義を歴史の流れの中で捉えることができ、流れの向きや強さを感じながら進む方向を決めることができる。
エゴと上手に付き合っている
卑屈さ、嫉妬心、虚栄心が顔を出しそうな時にも、自分が果たすべき役割やゴールの方を向いて、エゴの方を見ないように努力している。もしエゴの方を向いてしまったとしても少なくとも自分がそういう状態であることを理解し、効果的な対処法をいくつか持っている。
シゴデキへの愛が深すぎて、邪魔された時の私の憤りについては別途書かなくてはならないだろう。
上記は一人のことを言っているのではなく、私がこれまで出会った、目を輝かせながら仕事している人たちの観察記録である。
今後もきっと私のメモ帳は増えていく。
(こうして並べてみてみると、ドイツ人か仙人にでもならなければ全部は到底実現出来なそうだな)
理想までの道は遠けれど、今日も私はシゴデキを目指して邁進するのであった。