「プライスレス」を「プライス」のように大切にする話
大好きな友だちがいる。
プレゼントをしたり、されたり、お世話したり、されたりする。
大好きだと、何をもらっても嬉しい。何をあげても、許してもらえるという信頼感がある。
気持ちばかりだけど。え、嬉しい!ありがとう。の、応酬は、プライスレスだ。
その後に始まるなんの駆け引きもない会話は、金曜夜に飲むビールの何倍も楽しい。
このプレゼントは〇〇円くらいしそうだから、お礼として半分の△△円のものを今度持ってくるね。などというビジネスのようなやりとりは絶対に発生してはいけない。
大好きな気持ちに伴う行動は社会的価値。お金の話を始めてしまうのは経済的価値の話。
社会的価値を付与したものに対して経済的価値の指標を持ち込むと心外だと思われたり多くの場合失礼だったり人によっては怒り出すことさえあるだろう。
だが、私は社会的価値も、経済的価値と同じように大事にしたいと思う。
プライスレスな経験は、無料とか安いとかいうことではない。価格をつけられないほど高いというわけでもない。
友達だから、親だから、家族だから、お世話になったから。色々な理由で、助けてもらったり喜ぶようなことをしてもらうことがある。
ただ、やってくれるからといって、それを当たり前だと思ってはならないし、過剰に反応してもよくないと思うのだ。
「いいのいいの、このくらい」と言われたことも、ちゃんとカウントしておきたい。
あのときあの人にあんなことをしてもらった。借りがある。
必ず返さねば。
もちろん借りたいから仲良くするわけではないが、大好きなものだから仲良くしていたい。してもらったことと同じくらい、返してあげたいと思う。
だからといって、返しすぎても良くない。
一方的な力関係が生まれないようにする気遣いも、お互いの価値観の擦り合わせだったりする。
してもらった親しみの表現。返すことで、こちらも気持ちを表現。
プライスレスだけど、大事だからこそ、きちんと返していきたい。打ったら響くコミュニケーションをしていたい。
打ったら響く、を繰り返すことで、何もしなくても大丈夫、という信頼が生まれてくる。
遠慮と思いやりの重なりの上に築いた信頼が、形を変えて好きになっていくのだと思う。
たかがご近所の付き合い。でも、本当に良い友人に恵まれたと思っている。
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