席、譲らない、言い訳
しばらく並んでからバスが来て、儀式的に同じ動きを通過した乗客が次々と空席に収まって行く。
いつも通り自分の尻で埋めた元、空席の上でぼうっとしていたら、バスが発車した。
気づけば近くに高齢な女性が座席の肘掛けに重心をまさもたせながら立っている。
席を譲るべきだと思った。
だが次の瞬間、この人の持たれている肘掛けの席は空席であることに気がついた。
ふと、まてよ。と、頭の中が大急ぎで考えを巡らせだす。
すぐ近くにある空席に座らないということは特に座りたいとも思ってないのではないか?
そもそも高齢に見えるからという理由で座りますかと言うのは失礼なのではないか?ただそこに居ただけなのに気を遣われるほど私は高齢で頼りなく見えたのか、と落胆させてしまうのではないか?いやしかし、確かに座った方が安全そうに見える足付きではある。
よし譲ろう。いや、まて今まさにバスは動いていて、今は席を移動したりするべきではない。私とその方の安全のためにも、次の信号で止まったら声をかけよう。
信号だ、止まるぞ、止まるぞ…って微妙な速度で止まらないじゃないか。
そもそもこの人はどこで降りるんだろうか。
もしかしたら座って立つのが億劫に感じるほど近くのバス停までしか乗らないのかもしれない。
そんなこんな考えているうちに二つもバス停が過ぎてしまった。
座りますか、いえ大丈夫です。いえいえどうぞ。すぐおりますから。
果たしてそんなやりとりをする時間がそもそも私には残されているのだろうか。
さりげなく、次止まったら席を立つだけにしてみようか。
でもそれだと私のすぐ隣に立っている人が意図せず私の席に座ってしまってやりたいことがなされない可能性が高い。
そもそも私は立ってても全く問題ないほど元気だったのになぜさっさと座ってしまったのだろうか。
もう少し早く気づけば最初から譲っていたのに、なぜ私はスマホをいじって碌に周りを見ていなかったのか。・・・次からは絶対に、バス発車前に周りを確認するようにしよう。
そんなことを考えているうちに、三つ目のバス停でその方は颯爽と降りていった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?