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博士課程の学生としてこれはだめなのか

さて、レビュー論文については、2年が経過しようとしています。修正の修正で修正と、もう何をやってもダメ。ならば、いっそのことリジェクトしてしまえばいいのに、なんだか生かさず殺さずの状態です。

教授曰く「この論文に期待している表れだよ。がんばりなさい」とのこと。

確かに、自分的にも完璧なできではないけど、結構いい線いっているとは思っていました。そのため、これだけ修正要求が出されると、正直ちょっとずつやる気をなくしているのも事実。なぜなら、現状1本は通っているし、もう1本は紀要だし、そして次の実証研究も着手している。で、実証研究ならアクセプトはとりやすいのかと思っていました。なぜならば、レビューは終わっているので、研究の位置づけをしっかりと示して、空白地帯に対して「こうしたところ、こんな結果がでました」と書けば、それはそれで通るのでは。。。という甘い考えで、3本アクセプト=博論提出可。ならば、このレビュー論文いらないじゃん。ってこと。

さすがの教授もこのままでは、ちょっとかわいそうと思ったのか、自分が指導している学生の論文がこうもコテンパンにされて、嫌だったのか未だに聞いていないのでわかりませんが 、なんと。。。。

論文の修正をかなり(かなり)一緒にやっていただきました。正直共同執筆者並みに。。。。これは博士課程の学生としてはいかがなものかと私自身も葛藤はあったものの、そこまで熱のこもった指導をしていただけるのならということで、受け入れ、修正が終わりました。

その結果、恐ろしく、かちょいい、筋の通った、ぴしっとした論文に仕上がりました。やっぱ、プロは違う(汗)。今までの自分の書いたものは何だったのかというほどの出来。

教授曰く「これでだめだったら、あきらめな」とのこと。そりゃ、これ以上のものは書けませんから諦めます。

で再投稿。


さて、次は紀要の修正だ。

教授「紀要の修正は自分でやりなさい」

私「はい」(ですよね苦笑)

ということで、

D2年明け真冬の頃でした。

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