アメリカ留学がまさかのゴルフの世界へ
何故、私が今世界デフゴルフ連盟事務局をやっているのだろう?
ゆんみはトレーナーになるんだ(^^♪と1996年に日本から飛び立ってアメリカへ。手話で学べる世界で唯一のろう者の為の総合大学のギャローデット大学へ留学した。その時に聴導犬に出会った。
ゆんみは教えるのが好きでいつも誰かに教えていた。大学ではスペイン語、大学院はろう教育学を学んだ。大学在学中に愛犬ベルジアン・グロネンダールという犬を迎え、聴導犬として育てた。
日本へ帰国し、会社の面接ももちろん聴導犬サミーと一緒に受けた。外資系会社でもあったことから、同伴での出社は認められ毎日一緒に会社へ勤めた。
日本へ帰国して直面したのが聴導犬の立場の低さ。ゆんみがアメリカで犬とは愛玩扱いではなくてパートナーであることを教えて広めたいと思ったことからあっちこっちで小さく聴導犬サミーと共に講演してきました。いろんなところに聴導犬というよりもサミーの個性を喋っていたら、いつのまにか出版することになった。
そうした活動の中で旧友からの連絡があった。それは2012年日本で初めての世界デフゴルフ選手権大会が開催することになったから、通訳してくれないかと。
8年間アメリカという色に染めてきたゆんみの英語力、コミュニケーション力を買ってくれた。実はアメリカに留学したばかりのゆんみにその旧友は通訳してくれと頼まれていた。開催地がちょうどアメリカだったのと留学先のすぐ近くだった。
当時のゆんみは通訳ところではなかった。留学してアメリカ手話やアメリカ文化に溶け込もうとしていた時期だったので、自分のことで精いっぱいでほかの人のために自分の時間を渡すことができなかった。
8年間のアメリカ生活を終えて、落ち着いたゆんみは自分の時間をほかの人に費やすことの余裕ができたので、通訳を引き受けた。
初めてのゴルフの通訳が2008年11月三重県津カントリー倶楽部でのチャレンジドゴルフトーナメント大会だった。世界デフゴルフ連盟理事のギャビンさんがオーストラリアから視察にやってきた。
中部セントレア空港でギャビンさんを迎えに行き、初めて会話をした。ギャビンさんはオーストラリア手話と国際手話と英語(口話)で、ゆんみはアメリカ手話と国際手話と英語(口話)でやり取りした。
大学時代に日本手話⇔アメリカ手話の通訳の仕事はいくつかしたことはあるが、ゴルフの知識がないゆんみがゴルフを英語で通訳した。そこから知らぬ間にゆんみのゴルフの道が作られて行ったようだ。
未来の夫になる人と出逢い
旧友からは若くて有望な選手がいると紹介してもらったのが、2008年世界デフゴルフ選手権オーストラリア大会inパースで3位タイ取った袖山哲朗選手だった。彼は小学生からチャレンジドゴルフトーナメント大会に出て、津カントリー倶楽部にお世話になっていた。
ギャビンさんとの会話やある程度の通訳は問題なくできたが、ゴルフの話になると????がたくさん出てきた。2012年世界デフゴルフ選手権日本大会は津カントリー俱楽部が主催権を勝ち取ったのです。ゴルフ用語もゴルフ知識もなかった私には、2012年世界デフゴルフ選手権日本大会における必要項目について英語で喋っているのを通訳はできるが、関心の内容がよくわからない。
言われた英語をそのまま直訳して、通訳した。ゴルフ選手やスタッフの関係者はもちろんゴルフのことが分かっているのでそのまま伝えれば理解してもらえた。ゆんみはちゃんと伝わっているどうか、毎回確認していた。例えば、「バックナイン、フロントナイン、ウォーターハザード」などのゴルフ用語がどんどん出てくる。それをそのまま伝えた。
ゆんみはこれは通訳じゃない。ちゃんとゴルフ用語やルールを理解した上での通訳したいと思ったので、ゴルフを始めた。ゴルフを始めるにあたって、先生が必要になってくる。その時の日本代表エースが袖山哲朗選手で、一番うまい人に教わったほうがいいと思った。彼は聴者育ちで手話がよくわかっていなかったので、日本手話も国際手話も英語もできるゆんみに手話を教わりたかった。二人の必要条件がそろっていたので自然と一緒に過ごす時間が増えた。
袖山哲朗選手はゴルフとゴルフルールをゆんみに教えてあげて、ゆんみは日本手話とアメリカ手話と国際手話を彼に教えた。いつの間にか二人は交際を始めた。
世界デフゴルフ選手権は2年おきに開催され、2010年世界デフゴルフ選手権スコットランド大会はゆんみは通訳として同伴した。
大会前にはキャプテンルール会議というものがある。それに参加して日本選手にルール内容を通訳した。袖山選手に2年間教わったゴルフルールが理解できているので、ルール会議の内容を理解した上で通訳できた。
これまでに日本団体に通訳がいなかったようで、私の通訳が目立ったようでした。日本団体からの質問も国際手話で通訳し、質疑応答もこれまでなかったことがここでできた。会議が終わった後に、何人かの海外選手やスタッフに声をかけられた。
「なぜ英語ができるのか?国際手話ができるのか?」その質問が多かった。
ギャローデット大学卒業であること、デフファミリーであることを伝えた。
僕もギャローデット大学卒業だといわれ、プチ同窓会ができた。
ギャローデット大学は世界で唯一のろう者の為の総合大学で、世界中からの留学生が集まっていた。ゆんみもその中の一人になる。同じ大学のよしみで先輩からゴルフについていろいろ教えてもらってかわいがってくれた。
スコットランド大会で初めてキャディーというお手伝いをした。その時のゆんみはキャディーの「キ」もしらない。選手としてゴルフをやることはゆんみもゴルフを始めたから理解できる。しかし、キャディーの仕事は何をするのかは全く分からない。なんとなくわかるのはキャディーバッグを運ぶ、クラブを渡すくらいで細かいことは分からない。
スコットランド大会では手引きカートをキャディーバックを乗せて引いていく。初めてセッティングし、引いてみたらとてもなく高い。ゆんみは148センチというおチビちゃん。袖山選手は一般男子の部で出ているから、周りの選手はものすごく背が高くて歩くのも早い。
慣れない高さのある手引きカートを引いて、みんなに遅れないように一生懸命に早歩きして追いかける。キャディーが待つ位置も決まっているが、どの位置で待つのがいいのかわからないゆんみはもたもたしてしまう。そのたびに袖山選手に怒られて、理不尽でイライラしてしまう。キャディーの仕事をお願いするならまずキャディーの仕事はどういうものかを教えて欲しかった。
同行したほかのキャディーの仕草を見ながら学んだ。全部ティーショットまで同行しなくても途中で、クラブだけ渡して待つという方法があることも学び、キャディーの少エネの動きを覚えた。最終日にはキャディーの仕事を完全に理解して、それなりの仕事ができた。
2011年3月11日入籍
忘れもしない2011年3月11日。ゆんみと袖山哲朗が入籍した日。その日は東日本大震災で、おめでたいムードがぶち壊し。区役所で今から袖山になりますと告げられ、袖山家に嫁入ったんだなと思った後にゆらっと揺れて眠れない夜を過ごした。
そして、迎えた2012年世界デフゴルフ選手権日本大会。地元開催なので夫となった袖山選手に地元での優勝!!!という重いプレッシャーがかかる。ゆんみはキャディーのところではなく通訳コーディネーターという仕事を任された。
結婚式を挙げていなかったゆんみに世界デフゴルフ選手の皆さん、そして連盟理事からのささやかな結婚お祝いをしてもらった。
2012年11月2日 お世話になっている津カントリー倶楽部で結婚式を挙げた。結構我儘に盛り沢山に希望通りに叶えてくれました。夫は普通の結婚式はつまらない。夫の希望はゴルフ⛳️それだけ。ゆんみは聴導犬と同伴しての結婚式が希望。それを叶えてくれたのが津カントリー倶楽部。
ゴルフ好き仲間とハーフコンペしてからの人前式結婚式を挙げた。聴導犬仲間も同伴して祝ってくれた。指輪💍を渡す役を聴導犬仲間がやってくれた。お決まりのケーキカットはつまらないので、ケーキはゴルフ⛳️グリーンにしてピンを立てている。ミニパターでミニボールをカップインを夫婦作業でやった。1回目はタッチ感が分からずショート。2回目はオーバー。3度目の正直でカップイン。 今までにない結婚式の進行に盛り上がり思い出に残った。
2010年からずっと2年ごとの世界デフゴルフ選手権大会は欠かさずに代表選手である夫と同行し、通訳及びキャディーの仕事をやってきた。
世界デフゴルフ連盟理事にならないか?
2021年の秋ごろに世界デフゴルフ連盟理事長のシメオンから連絡がきた。
「世界デフゴルフ連盟理事にならないか?」
引き受けるかどうか迷っていたけど、夫のおかげでいろいろとゴルフの世界を見られて楽しかった。選手側でなく、運営側からも見てみたいという気持ちがあったことは真実。
それを夫に伝えたら、やってみたら?ゆんみならできるよねって。
理事の仕事を聞かずに「イエス」と答えたのはちょっと後悔した。
何故ゆんみを選んでくれたのかと聞いたら、ジェンダーバランス。まず、今いる理事は男性のみ。女性がいない。そして白人のみ。それでは偏ってしまう。ゆんみを選んだのはこれまでに日本チームの通訳、キャディーなどの仕事ぶりを見て、理事の仕事ができると確信したそうです。
理事の仕事を引き受けて、内容を聞いたら・・・(;^_^A
なんと事務局‼‼‼ えええええ
英語はできるけど、間違えた英語で世界中に流したくないよ.…
しかも英語は第一言語じゃないし。。。。
理事の皆さんが親切でゆんみが英語が第1言語ではないから、時間がかかっていいから英語レポートを待つっていってくれた。もし、間違った英語表現があれば教えてくれるということで事務局の仕事を頑張ることにした。
2025東京デフリンピック
今年はデフリンピックが開催されてちょうど100年記念になる。1924年フランスで第一回世界ろうあ者競技大会という名前で開催された。2001年に国際オリンピック委員会から『オリンピック』の名称使用許可を受け、デフリンピックと改名した。
夏季と冬季と2つある。ゴルフは2大会前のトルコ🇹🇷サムスンデフリンピックから加えた。来年は地元の日本で100年の節目のデフリンピック。前大会のブラジル大会はコロナの影響を考察して参加を見合わせたので、来年のデフリンピックが初めての参加となる。
ゆんみは世界デフゴルフ連盟理事、および手話通訳ができることにより、デフリンピックのゴルフ運営にちょっとだけお手伝いしている。
世界デフゴルフ連盟はR&Aと連携を持っており、世界デフゴルフ選手権大会はいつも助成金を出していただいている。R&Aはいろんなゴルフ団体に支援をしている。そして、いろんなプログラムがある。シメオン理事長からの推薦もあり、R&A主催の女性リーダーシッププログラムに応募した。
実は2021年に理事になったばかりの時にも推薦してもらって応募したけど、よくわからなくて自信がなかったゆんみは落ちてしまった。
今回は3年の理事の仕事をやり、知識も自信もついてきたので再度の応募。オンラインでのディスカッションに興味があるかとメールが来た。
手話通訳がつかないとみんなの話が分からないけど、とりあえず参加してみると伝えた。今の時代は技術の賜物で手話通訳がつかなくても字幕を付けてもらえば何とかなる。最低限の情報保証を字幕でつけてもらえば、なんとかついていけますが、一番いいのは手話通訳がつくことですと伝えた。
ディスカッションの前の日になんと手話通訳者が見つかった。同日は手話通訳者付きでディスカッションに参加。ディスカッションが始まる前に通訳者と顔合わせ。なぜ、アメリカ手話を知っているかという話になって、ギャローデット大学へ留学したと話したら、通訳者はゆんみの後輩に当たる。ギャローデット大学のグローバルネットワークに感謝。
問題なくディスカッションが進められ、ゆんみの意見も問題なく反映できた。そして、合否を待つところが待てと待てとなかなか連絡が来ない。今回はたくさんの応募があったため、選択に苦しまれている。もう少し待って欲しいという連絡。
忘れたころに連絡がきた。
「あなたはR&A女性リーダーシッププログラムに選ばれました」
わぉっ(^^♪
ゴルフの通訳のお手伝いから始まって、夫に出会って、連盟理事になって、デフリンピックのお手伝い、そして最後はゴルフ総本部のR&Aまで行くとは思わなかったな。
アメリカ留学で得た英語とコミュニケーション力がゴルフに活かす道になるとは思わなかったなあ。
そのプログラムは来年の1月から始まる。さらなるゴルフの世界にはまっていって、世界との結びつきを作っていくのがとても楽しみです。
#想像していなかった未来