負の感情
「またか…」
私は耳を疑った。それは、私に向けて言っているようにも聞こえた。下を向いたままその場を離れたい気持ちでいたが、胸をギュッと掴まれたように身動きできないでいた。
福祉施設で働く私は、介護士。
5年前、この施設に契約社員として入社した。いわば時給870円のパート。この辺りは働き口が少ない。生活のためにやむ得なく就いた仕事だった。
また、新人が入社すると言ってユニットリーダーが、看護師に話をしている。その新人は、シングルマザーで子供はまだ小さい。そのことに看護師は、
「シングルマザーじゃ、また時間を考慮してあげなくちゃいけないのか…」
なんとも、その言葉に心臓を杭で打ち込まれたかのように、胸の痛い思いがした。
昨今、3組に1組は離婚する世の中だ。私もその1組に入った。ユニットリーダーや看護師は、離婚をしていない2組の方。なんとなく、勝ち組と負け組みに分けられたみたいだ。
その「またか…」の言葉になぜ、肩身の狭い思いをしなくてはならないのか。私は黙って聞いていないふりをする。しかし、心の中は腹立たしくて仕方がなかった。
あてつけに言っているのか、不意について言ってしまったことなのか、その真意は聞いていないから分からない。しかし、少なくとも私が不愉快な思いをしているのはハラスメントに値しないのだろうか。
ユニットリーダーや看護師の仕事は、激務だ。ストレスもたまる。十分承知している。
しかし、仕事を初めから教えなければならない新人を重荷としか捕らえない考え方は、おかしい。人を育てる気が全くない。仲良しクラブの中に邪魔な人間が入って来る、そんな感覚なのだろうか。
そういう人間の下で働いている。やる気は無くすし、モチベーションは下がるいっぽうだ。
新人は、アクセサリーをたくさん身に付けていた。
すかさず看護師は、
「指輪は、利用者様を傷つけてしまう恐れがあるからはずしてね」と言ってはずさせた。それはわかる。しかし、あなた達のしている結婚指輪も、利用者様を傷つけてしまうのではないか。
『はずした方がいいと思いますけど…』と思う。
案の定その新人はこの空気を察したのか、すぐに辞めた。正解だ。
言葉の端々に、人のことを見下しているのがにじみ出ているのを感じる。『結婚を破綻させてしまうような人間は人としていかがなものか』とでも思っているようにみえる。
それぞれの事情があって今に至るわけで、誰も離婚をしたくて結婚するわけではない。
そのことがあってから私は、施設長に「またか…」の話をし、思いの丈をぶつけた。
どこの会社でも、こういった人間関係はある話だ。しかし、上司の立場にいながら愚痴を吐き吐き仕事をして、人に頼み事をするときは命令口調、怒り口調なのだ。人に対するデリカシーもない。これでは誰もついて来ない。
『自分独りで仕事をしている』看護師はそんな気持ちだったのだろうと推測する。
よくここで5年も我慢したな、と思う。もうここには居たくない、日に日に思いは強くなり3ヶ月後、その施設を辞めた。
その後、風の便りであの看護師は入院したと聞いた。
やはり、自分の発する言葉は必ず自分に返ってくる。愚痴や悪いことばかりを言えば身体を痛めつけたり、心を虫食む。心に余裕がなくなると視野が狭くなる。
あの看護師も辛かったのだと思う。しかし、負の感情をどこかで切り替えていれば、周りの人間には波及しなかったのではなかろうか。良い心がけで一緒に働く存在に感謝しながら笑顔を絶やさないでいれば、人は離れていかなかっただろう。看護師自身、楽な気持ちで仕事ができたのではなかっただろうか。
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