あの日のショートケーキ
苺がのったショートケーキを仏壇にお供えして、手を合わせる。
父が亡くなって1年以上が経った。
今日は私の誕生日。笑った父の写真を見ながらあの日の誕生日を思い出していた・・・
父は一人娘の私を可愛がってくれた。なかなか子供ができなかったため、私がお腹にできた時はたいそう二人で喜んだそうだ。その時、父は47歳。
満1歳の誕生日から毎年、苺のショートケーキでお祝いをしてくれた。
「いいかい? ローソクの火を吹き消す前に目をつぶって願い事をするんだよ」
それは、それは、大切で幸せな時間だった。
私は高校生になると友達と遊ぶのが楽しくて、その年以降、家で誕生日を祝う事はなくなった。夜遅くなって家に帰ると、父が寂しそうにビールを飲んでいる。私はそれを横目に見ながらさっさと部屋に入る。
その頃は、” 自分 ” というものしかなく、とにかく自分本位に振舞っていた。親は居て当たり前、親の考えや気持ちなど全く知ろうとしなかった。
ある冬の寒い日だった。また夜遅くに家路を急いでいると、ポツンと灯る街灯の下に裸足で立っている男性を見かけた。よく見ると、それは父だった。
「何しているの! お父さん! しかも裸足じゃない!!」
「あぁ…う、うん、道が分からなくなっちゃって…」
頭の中が摩訶不思議の領域に達し、父はこの冬空の下、なぜ裸足で…なぜ道が分からなくなったのだろう…
認知症の始まりだった。
解体するビルを爆破してダダーッと崩れていくように、日に日に父の容態は悪くなっていった。母や私ではもう対処する事は難しくなってきている。施設に助けを求めるしかなかった。
施設に入った父は、訳が分からぬまま毎日を過ごす。自室に独りで居るのは寂しいらしく介護士の後をついて行ったり、かと思えば出入り口付近で「家に帰りたい」と騒いだりしているという。そんな事を聞くたび私は後悔の念がよぎった。
もっと父と話をしておけば良かったと…
その施設には月に数回定期的に車両販売が来ている。ちょっとした動くスーパーだ。この日は介護士に連れられて数人だが施設の利用者も買い物ができる。父も気分転換がてら外に出て品物を見ていた。すると、
「ケーキはありますか?今日はうちの娘の誕生日なんです」
「はい、えーっと、モンブランとショートケーキがありますが…」
「あー、コレコレ」
苺がのったショートケーキを指差すと販売員から手渡され、ニコニコと穏やかな表情になった。
数日後、その事を母と二人で聞いた時、父は私の誕生日を忘れていなかったのだと涙が溢れ出た。
最愛の一人娘が生まれた日を認知症になっても忘れてはいなかった。
毎年 “ 苺のショートケーキ “ で私の誕生日を祝ってもらっていた事を介護士に話した。そして、ケーキを買った日を聞くと、まさに私の誕生日だった。
とめどなく涙が溢れ、父を抱きしめた。
その父の顔は温かく娘の幸せを願っている顔だった。
「お誕生日、おめでとう」