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愛情が曲がりくねりすぎている母との関係変遷 〜1〜
幼児期
もうあんまり覚えていないが、母にいろんな教育をされてきていた。
右脳開発をうたう教室とか、7カ国語を話せるようになろうという集まりとか、気がついたら通っていた。とにかく英才教育をして『天才』にしたかったことが伺える。
後に、娘であるわたしを天才にしたかったという言質もとれた。
その教育はわたしのやる気と関係ないところで行われていたので、全く言葉を覚える気がなく、英語と韓国語でテンプレの自己紹介ができるようになっただけだった。
あとは、観光地で話されている言語がロシア語かフランス語か、どこの国の言葉か聞き分けられるくらい。意味はわからない。
色々な文化があり、色々な大人がいることはわかったが、人との関係を築くことはぜんぜん学ばなかった…なんで……ついでに教えて欲しかった……
挨拶とかそういう人間の基本は、教えないけど、できてないことを見かねて、なんでしないの?と叱られていた。
挨拶ってするもんなのか。知らないんだけど。と思っていた。
度々、母の母に預けられた。祖母のご飯が美味しくて好きだった。ウチでは使っていなかった本だしとか使ってたし、味が濃かった。あと、味噌汁にとろろ昆布をたくさん入れても嫌な顔されなかったのが嬉しかった。
母は祖母と仲が悪いと言っている。ずっとだ。今現在も相容れないらしい。
子供の頃に言われてきたこととかなんか色々あるらしい。わたしも母とは親子じゃなかったら仲良くならないタイプなのでわかるけど。わかるけどサァ…。
小学生
わたしは担任の先生が外国で勉強してきたというのを聞いて、わたしも外国に行ってみたい、先生と同じ国に行きたいと言った。気持ちとしては、興味あるなーぐらいであんまり深く考えていなかったが、英才教育のチャンスと捉えたのか、子どものやりたいことは全部やらせる精神だったのか、あれよあれよと1週間の留学プログラムに参加することになった。
なんとか1週間を終えたが、なんといってもわたしは人との関係を築くのが下手くそだったのでヘラヘラしかしていなかったと思う。お金がもったいない。
あんまりお金ない家だったのに。
わたしは人の話を聞いているふりはできるが、幼稚園や学校以外の、親がいるところでは、静かにしているだけで全く聞いていなかった。聞いてなくても親が聞いていて後で教えてくれるし、聞かないといけないなんて思っていなかった。
何も考えず、母の言うことに従っていればなんとなく生きていけていた。