29.首里城復興にかける想い
こんにちは、さむです。
今日は、みんなの応援隊隊長でも、沖縄一熱い女子大生でもなく、RISE OKINAWAという学生団体の一員として、話していきます。
↓RISE OKINAWA Twitter
https://twitter.com/OkinawaRise
↓RISE OKINAWA Instagram
■RISE OKINAWAとは
RISE OKINAWAとは、沖縄の学生が主体の学生団体。
「若い沖縄の人たちをRISE(活発)に」というビジョンを掲げ、
「沖縄を『リブランディング』する」という目的のもと活動している。
これまでに #PRAYforSHURIJO や #コロナのち晴れ プロジェクトを実施。
くわしくは、以下の団体ブログをご参照ください。
■首里城焼失と団体の活動
2019年10月31日、首里城焼失。
明け方から燃えはじめ、昼過ぎまでかかった消火活動。
全焼してしまった、首里城正殿。
まだまだ記憶に新しい方も多いと思う。
大阪出身、2019年4月に移住してきたばかりの私が、精力的に首里城復興に向け活動しているのを疑問に思う方も多いかもしれない。
今回は、その話をしていく。
私は10月31日まで、沖縄のため活動しようなんて一つも思ったことはなかった。
火災当日、平日だったにも関わらず、ONE OK ROCKのライブのために広島に行っていた私はネットを通して首里城火災の事実を知った。
最初は、フェイクニュースだと思った。
しかし、長く続く消火活動の報道や、友人からの連絡を受け、次第に事実だということを受け入れていった。
同じように感じた方も多かったのではないだろうか。
後日友達やそのご家族の話を聞くと「首里城がなくなるなんて思ってもみなかった」という人がたくさんいた。
その日の内に、先輩に「首里城のために何かしよう」とLINEでお誘いを受け、二つ返事で承諾した。
それは『首里城を復興する若者の会』という団体だった。首里城復興に関する情報を集約するサイトをつくろう、と立ち上げた。首里城火災を受け、かなり早い段階でいろいろな団体が募金活動を始めたのを見ての対応だった。
しかし、初期メンバーが少なかったこと、そのメンバーもほかの活動に追われるようになってしまったことから、団体が機能しなくなり、現在は活動していない。
『若者の会』の活動頻度が少なくなってきた2019年12月ごろ、別の団体から声がかかった。
それが現在活動している、RISE OKINAWAだった。
発起人兼元代表の照屋一輝は首里城火災の10月31日にクラウドファンディング(首里城火災復興支援プロジェクト)を立ち上げ、国内外の793名から374万円集めた。
しかし、その時集めたお金とともに集まってきたメッセージを見て思ったそうだ。
この想いが詰まったメッセージをもっと沖縄の力にできないか、SNSでほかの情報と混ぜられ流されていく写真や想いを集めることができないか…。
その想いで誕生したのがRISE OKINAWAであり、現在進行中のプロジェクト #PRAYforSHURIJO だった。
#PRAYforSHURIJO では、今も写真を通してその人が首里城に対する想いを投稿していただいている。
現在この二次利用として、動画作成やモザイクアートとしての活用が上がっており、その企画を進めている。
■沖縄はみんなが思っているより注目されている
活動を始めた当初は、ただ単に「首里城が燃えた」というショック、「何かしたい」という気持ち、そして「先輩についていけば自分の知らない世界が見れる」という成長意欲という名の少し不純な、大学生特有の動機が混ざっていた。
しかし、活動を続けるうちに感じたのは「沖縄県内の大学生が思っている以上に、沖縄は注目を集めている」というところだった。
私が10月31日に行っていた、ONE OK ROCKの公演。
4人のメンバーのうち3人は関西出身で、ボーカルのTakaだけが東京出身という、沖縄には縁の少ない構成だった。
それにもかかわらず、その公演で
「今日は沖縄の世界的な遺産も燃えてしまって…」
と触れ、東北大震災の復興ソングとして作った曲を披露した。
「僕たちはたいして何もできないかもしれないけれど、僕たちが歌うことで誰かの力になれるなら…」
そう語ったTakaが、首里城のことも想って歌ってくれたのに感動した。
私が以前所属していた『首里城を復興する若者の会』の構成員も、みな出身は大阪、鹿児島、埼玉で、沖縄ではなかった。
沖縄の人は、沖縄に誇りを持ってはいるが、県外には劣るという考えが強いと思う。
そのため、私の周りには「就職は県外」を考えている友達も多い。
中には「沖縄のどこがいいの?」と聞いてくる友達までいた。
私はRISE OKINAWAでの活動を通して、そういった沖縄に自信のない沖縄県民(うちなーんちゅ)が、沖縄のシンボルの一つであった首里城への想いが集まる姿を見て、もっと沖縄を誇らしく思い、活力が湧いていけばと考えている。
ワンオクが首里城を思って演奏したあの曲を聞いて、沖縄在住でよかったと誇りに思ったあの日の私のように。
■思ったより、沖縄を知らない
意外とみんな沖縄のことをまだまだ知らない。
これは、私のような移住者も含む、沖縄の大学生の多くに共通する。
例えば、沖縄の方言で有名なものに「なんくるないさー」がある。
「なんくるないさー」はただ単に「なんとかなるよ」という意味にとられがちだ。この言葉を引き合いに出して沖縄の「おおらかさ」の象徴にしたりする。
しかし実際は「まくとぅそうけーなんくるないさー」といい、標準語で言うところの「人事を尽くして天命を待つ」に近い意味がある。
おおらかさの象徴ではなく、先人からの立派な教えの言葉なのだ。
このようなことを、意外と沖縄県民の人も知らない。
確かに「なんくるないさー」の例は豆知識的な要素があるが、そういった部分も含めて、沖縄の人が知らない沖縄はまだまだあるだろうと思う。
実際、RISE OKINAWAの現在のメンバーは私以外の5人ともが沖縄出身であるが、みんな「発信しながら自分自身も沖縄についてもっと知りたい」と言う。
沖縄についてもっと知りたいと思うほど、深みにはまっていく。
それは、沖縄がかつて琉球王国であったことや、戦場となったことにも由来するのだろう。
例えば今回の首里城火災一つをとっても、
首里城の歴史をたどれば沖縄独特の文化にたどり着くし、
以前の焼失をたどれば戦争にたどり着くし(太平洋戦争中、沖縄の司令部は首里城の下にあった)、
再建となれば赤瓦職人がいないという文化の継承の問題に行き当たるし、
観光資源だった側面を見れば観光に依存しすぎているんじゃないかという経済問題にも行きつく。
もっと多角的な視点から見ればもっとたくさんの見方ができる。
一筋縄ではいかない歴史を持った沖縄だからこそかもしれない。
それは、沖縄が抱える問題にも突き当たることが多いが、同時に、沖縄のタフさや深さ、やさしさ、温かさといった部分にも触れ合える。
自分がそれを感じているように、ひとりでも多くの人がそのことを感じ取ってくれればうれしい。
「沖縄に住んでいる」と言うと、「沖縄って観光に行くにはいいけど、住んでも何もないでしょ」といわれることがある。
沖縄は、本州と同じくらいの距離に台湾・中国・韓国・そのほかアジア圏が位置している。
これは、それだけ大きなマーケットを相手にしやすいということだ。それを狙って沖縄に本社を構えている企業を私は少なくとも2つ知っている。
沖縄には、何もないわけではない。まだみんな気づけていないだけだ。
そして同時に、沖縄には問題もたくさんある。
基地問題、平均年収全国最下位、自殺率全国一位、観光依存からくるコロナショック、新卒から3年間の離職率の高さ…。
時間が解決してくれるような簡単な問題ではない。
誰かが声を上げ、みんなが協力して初めていい方向に向かう問題ばかりだ。
ではだれが声をあげるのだろうか?
きっとそれは、沖縄が好きな人だろうと思う。
私が出会ってきた、沖縄を変えようとしている大人はみな、自身の出身地に関わらず沖縄が好きだと言っていた。
しかし残念ながら、(沖縄に限らずだが)外から来た人が変革を起こそうと思っても壁が多い。
だったら、若い、これからの沖縄を担っていくうちなーんちゅに、もっと沖縄を好きになってもらった方がいい。
私が「大阪出身で、沖縄が好きで沖縄に来ました」といえば、沖縄の人みんなが「そうだよね、私の自慢の場所やっさー」と口をそろえて言う日が来るといい。
そしてこの魅力あふれる沖縄なら、その夢はまったく難しいことではない。
だから、大阪出身というよそ者ながら、偉そうに沖縄の人に向かって「沖縄の魅力を発信」なんて言っている。
まだまだ難しい部分も、本当にこれでいいのか悩む部分も多いが、一歩ずつ進んでいきたい。
いつも読んでくださってありがとうございます。