「自尊心が低い」という自覚

授業の一環で性格検査をやって自己分析してさ、
自尊心とか低いのをやっと自覚した

これまで、「自尊心が低い」というよりかは「謙虚」っていう捉え方をしてきた。

自尊心とか劣等感って、大げさなイメージがあって、私はそこまでじゃない、って思ってたけど、冷静に考えてみて、これまでの私のああいう言葉、行動って自尊心が低い・劣等感を感じているからなのかって思った。


ずっと、褒められるのが好きじゃなかった。
小・中はトップクラスで成績が良くて、(まぁ小中の成績はたかが知れてるけど、中学のテストで100点取ることもあった。)
でも、「こんなに良い点数とっちゃってすんません…」って感じだった。
素直に喜べなかった。

クラスメイトの前で何か褒められた時も「なんでここで言うのよ!?」って気持ちがめっちゃ大きかった。

周りの子が点数競い合ったり、自分より低い点数なのに本当に嬉しそうに表情に出してるのが、少し不思議だった。
きっと自分の点数は喜ぶべきものなのに、それを表情や行動に出すのが、恥ずかしかった。
喜ぶ自信?がないというか。
取れちゃった、って感じだったから。


自己分析で、じっくり振り返って、
あぁ、これってそういうことだった…?ってなった。

性格検査が授業内でできたのは心理学を専攻してる特権なのかな?と思うし、自己分析のきっかけになってとても良かったと思っている。

これまで、意識していなかったことも、
これ長所って言えそうだなとか、
これって見方変えるとこういう短所にもなるか、とか。

自分のことわかってる気になってたけど、ちゃんとそれを自分の特性としてはっきり認識してなかったな、すべきだなっていう気付きはあった。


自尊心の高低に優劣はないけど、私について言えば今よりは持った方がいいなとは感じる。
自分に自信がないのは事実だし、
いつも「私なんかに…」、「私ごときが…」
って思ってる。

褒められて、それを拒否・否定することは相手を傷つけてるかもしれない。
褒められることは、歳を重ねるにしたがって減っていくと思う。
相手の評価(良い悪い)は、所詮「相手の評価」だ
都合のいいものは素直に受け取り、都合の悪いものは聞き流しちゃえ。

人間関係でも、「私なんかと一緒にいてくれて」とか思うのは、相手の人間関係を否定することにもなる。
その人のこと信頼してないってことだし、今の私に関わってくれてる時点で、大切な人であることに変わりはない。

謙虚も大切だけど、行き過ぎると、結局自分が我慢することが当たり前になって、苦しむんだな

自分が我慢すれば、丸く収まることはあるけど、
我慢したことが後々ずーんと重くなって返ってくることも同じくらいある。


適度に自信もって
自分と相手を大切にしたい。

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