須田亜香里さんの総選挙後スピーチに見えた「多極化する価値観」の先

48グループの総選挙なんて先週のことなんだけど、この記事。

なかなかにショッキングなタイトルのようにも見えるが、この発言が正鵠を射ているのならば、この須田さんのスピーチもまた、広く世間の耳目を集めることにはならないだろう。そうなのだ。あれだけメディアに露出し、グループ脱退後も追い掛けられ、挙句の果てには完全にアウトとしか言えないのに「ストーカー呼ばわりされたくない」と宣う、虚構と現実の境目が曖昧になっちゃっているファンまで出ているアイドルグループでありながら、

実のところ世間のマジョリティは無関心なのである。

私も実はいい歳をしていながら、ちょっとした切っ掛けをご縁として欅坂46のファンだったりするし、昨日発売になった「ひらがなけやき」ことけやき坂46(ちなみに欅坂46は「漢字欅」と通称される)のファーストアルバムもしっかりAmazonで予約して入手した。まぁ、世間で言ったら多分私もきっとアイドルオタクの部類にカテゴライズされるのだろう。そのことについても多少腐したい気持ちがないではないが。

だが、そんな私で有っても正直、幾度となく芸能ニュースでは取り上げられないことのない、AKB48を筆頭としたいわゆる「48グループ」についてはびっくりするほど関心がない。立ち上げから13年、アイドルグループとしてはいささか旬を過ぎた感が否めなくとも、ファンは熱心に応援を続け、そしてときに行き過ぎた行動を起こす。そのコミュニティは既にムラ化していて、新規に関心を呼び起こすコンテンツ力に衰えを見せ始めている。こうしたことは、どの世界にも存在することだ。端的に言えば「48グループ」において、仕掛け人である秋元康氏の仕掛けたビジネスモデルは、一定周期を回ってコモディティ化してしまったのだ。つまり

飽きられているのである。

そもそもの発端は、常打ちの劇場を作って連日公演を打つことで「会いに行けるアイドル」と言うコンセプトを打ち出したAKB48は、その後各地に姉妹グループを立ち上げ、「総選挙」や「じゃんけん大会」と言った奇抜なショーアップ戦術と共に「AKB商法」と揶揄されるまでに至ったがめついカネの搾り方を行って、そのすべてがコモディティ化したその結果なのである。

私が子供の頃、まだ「ブラウン管の向こう」と言うのは現実から切り離された別世界であり、それはブラウン管の中にしか存在しない一種の虚構であった。もちろん実際にはそれもまたリアルの一部でしかなかったのだが、少なくとも「ブラウン管の向こう」と言う虚構を意識していたように思う。そのこと自体の良し悪しは判じかねるが、少なくとも昭和の頃はそんな具合だったのだ。

それを最初にリアルの延長線上に引き摺り下ろしたのは、誰あろう秋元康氏であり「おニャン子クラブ」である。だからこそ、おニャン子世代は誰もが思ったであろう。AKB48を打ち出してきた秋元氏に対して、アレの二番煎じでもやろうってのかい、と。だがその点に於いて、秋元氏は一般市民の単純素朴な考えをぶち抜いて、文字通りAKB48を「国民的アイドル」に仕立てあげたのだ。どうせ売れねぇ売れねぇと、高を括っていた連中が軒並み仰け反った瞬間である。

そんな48グループだが、それまでグループの「顔」としてグループを牽引してきた4番やエースが離脱して行く中で、ただコモディティ化した「器」としての48グループに世間の耳目は集まらない。これは「モーニング娘。」にも同じことが言える。ヘビーユーザーたるファン層には関係無くとも、アイドルグループにとって本当に不可欠なのはヘビーユーザーではない、ライトユーザーだ。もっと言えば

「支持政党なし」みたいな浮動票層

である。しかしながらそんなライト層は、ヘビー層が彼らの妄想で出来た虚構の中に現実と共に埋没し、財産を投げ打つ姿を見てドン引きしているのが実情なのだ。

須田さんの「決意表明」は、賢い戦術のようにも見えるし、本当に抱いている危機感の現れでもあったように感じる。多極化する価値観の中、単に「アイドルオタク」と言う括りでは処理しきれないほど細分化し先鋭化していく時代の流れの中で、彼女たちは自分たちの夢の実現に向かって、前を向いて走るより他ない。周りの大人たちは、そんな彼女らをどう導くのか。総帥・秋元康氏の、次の一手に注目したい。

それはそうと、ひらがな2期は丹生ちゃん推しです。



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