「日大アメフト部故意反則事件」に見る、責任の耐えられない軽さ

実はそれほどアメフトと言うスポーツに詳しくはないのだが、どうも日大さんがやらかしたそうですね、と言うのはさんざっぱらニュースメディアでも取り上げられているし、どうもそれが指導者の指示であったと言うのも、ほぼ事実だと言うのも明確になっている。と言うことで、あとは当該指導者の処分くらいしか仕事はないし、世間の関心も収束するだろう。そうでなくとも市井の小市民などと言うものは、概して飽きっぽい。

だが、それはちょっとまずいのではないか。

そもそもアメフトと言うスポーツ自体が、フィジカルコンタクトが非常に激しいと言う特性から危険性の高いスポーツであることは、特に知られているかと思う。NFLでも選手寿命は短く、ポジションの場合によっては普通格闘家でもなけりゃ起き得ないだろうパンチドランカー様症状を呈すると言うくらいなのだから、相当に安全性を配慮するようにルールができている。つまりアメフトのルールは、ただ単にゲームの規則と言うだけでなく、選手たちのセーフティネットでもあるわけだ。

と、言うわけで、ルールの範囲内にある限りであれば、別に司令塔たる存在となるクォーターバック(QB)へのタックルは単なる戦術に過ぎない。つまり今回の問題は意図的にQBを負傷させろ、と言う指導者の指示が有った点において悪質であるのが問題なわけだ。

恐らくだが、選手の資格問題も問われるだろう。「監督とコーチがやれって言ったからやった」では正直ヤクザの鉄砲玉と大差ない。スポーツマンシップ以前に人間性を疑われるが、今回に関して言うならば人間性は保たれているがゆえに命令に逆らえなかったし、そういう状況を指導者が作ってしまった、あるいはそれさえも意図的に作り上げた可能性さえある。だとしたら、これは人間性以前の問題だ。

しかし、だ。これ、何かに似て見えてこないだろうか? そうだ。

神風特攻隊に似ている。

太平洋戦争に於ける「神風特攻隊」の存在は、現在でも英語圏ではヤバい類いの伝説として、日本国内では悲劇の象徴として語り継がれている。靖国に招魂された英霊に合掌した上で、ことに軍隊と言う組織は上からの命令と言うのは絶対であり、普通これに逆らうと抗命罪として軍事法廷に引っ立てられること請け合いの事態なのだ。だが、それはあくまで「軍隊」と言う組織ゆえに起こり得た悲劇なのだと断じてしまうのはまずい。なぜなら日大アメフト部もすでに、そういった硬直的上意下達組織と化していたからだ。

御国のために散華せよと命じた特攻隊長。チームの勝利のためにスポーツマンシップを抛棄して、相手の司令塔をグラウンドから排除しろと命じた指導者。何が違う。根元にあるのは同じじゃないか。その隊員の生命、その選手の選手生命、それらを秤にかけたときにあまりに軽い、命令者の責任所在感の軽さ。似ている。似過ぎていて腹が立つ。

学生スポーツの勝利至上主義に対する反感も目にしたが、それはちょっと違う。スポーツが元来目指すものは勝利のみでしかない。友情だとか努力だとか週刊少年ジャンプみたいな寝言言ってる場合ではないのだ、とにかく勝って勝って勝ちまくるのが、そもそものスポーツの本質なのだから、それを否定してしまえばスポーツを語る意義がない。アマチュアだから、学生だから、勝利至上主義はおかしいと言うのなら勝ち負けの付かないことだけに一意専心してやがれと言わざるを得ないだろう。

だが、勝利に拘るあまり、選手たちのセーフティネットたるルールを破る禁を冒して得た勝利は、本当の勝利と呼べるだろうか? その点は明らかに否だ。ルールの枠内で最大限の努力をした上で、それでも先天的能力で超えられないのはもうどうしようもないことだと諦めるしかなかろう。禁断の方法に手を出してしまった指導者は、今後汎ゆる懲戒を受けるかどうかわからないし、それによって禊を果たしたと言うかも知れない。違う。

あなたの罪は生涯あなたを苦しめなければならない。

それが、本当の責任の所在を意味するのだから。



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